松田康子さん/ミュンヘン音楽大学教授/ドイツ・ミュンヘン

松田康子さん/ミュンヘン音楽大学教授/ドイツ・ミュンヘン松田康子さん プロフィール京都出身。13歳で大阪フィルハーモニー交響楽団と共演。京都市立堀川高校音楽科から東京芸術大学、同大学大学院に学ぶ。伊奈和子、土肥みゆき、田村宏、永井進、園田高弘の各氏に師事。73年渡独。ミュンヘン音大でローズル・シュミットに師事。国家芸術家試験に最優秀賞で合格。78年ヴィットリオ・グイ室内音楽コンクール入賞。
84年セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘンフィルとラヴェル「ピアノ協奏曲」で共演、キャリアを本格スタートさせる。88年ベルリン・フィルハーモニーホールでのモーツァルト・ピアノ協奏曲ツィクルス(コンラート・ラッテ指揮)に起用される(90年・94年・96年も)。89年ザルツブルクのモーツァルト週間でレオポルト・ハーガー指揮ウィーンフィルと共演したのをはじめ、ポーランド室内管弦楽団、北ドイツ放送響とも共演。91年若杉弘指揮ミュンヘンフィルとベートーヴェン「ピアノ協奏曲第3番」を、また94年にはライプツィヒのゲヴァントハウスで中央ドイツ放送響とリヒャルト・シュトラウスの「ブルレスケ」を演奏。同94年にはマルク・アンドレーエ指揮のハイドン・オーケストラとイタリアとオーストリアを演奏旅行した。96年ミュンヘンの野外コンサート「アメリカのクラシック音楽」公演でライザ・ミネリと共演、ガーシュイン「ラプソディ・イン・ブルー」を演奏。99年イタリア・ミラノのヴェルディホールでリサイタルを開催。2001年にはミャンマー文化庁と日本大使館の招待を受け、首都ヤンゴンでリサイタルを開いた。
このほかにもザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団、イエナ・フィルハーモニー管弦楽団、パドヴァ室内管弦楽団、カッセル州立管弦楽団、バッハ・コレギウム・ミュンヘンなどの公演に招かれている。ペーター・マーク、カール・エステルライヒャー、デヴィッド・シャローン、ユッカ=ペッカ・サラステ、ユベール・スダーン、ラルフワイカルト、.朝比奈隆、小泉和裕といった著名指揮者との共演も多い。リサイタルソリストとしてミュンヘンのヘラクレスザール、モスクワのスクリャービン博物館などに登場。室内楽にも積極的に取り組んでおり、バイエルン放送響コンサートマスターのフロリアン・ゾーンライトナー、州立歌劇場管弦楽団首席チェロ奏者ペーター・ヴェットケ、バイエルン放送響元首席フルーティストのアンドラーシュ・アドリアン、そしてフランスのヴァイオリニスト、ピエール・オマージュと共演を重ねており、ルブリアーナ・フェスティバル(スロヴェニア)はじめ、フランスやスペインの音楽祭に招かれている。2011年ゲーテインスチツチュートの招きで、バングラデシュ、インドにて演奏と公開講習を行う。
ブゾーニ、カサ・グランデ、ポルト、ポッツォーリ、サンレモ、アンドーラ、ピネロロなどの国際ピアノコンクール、トリオ・デ・トリエステ室内楽、ヴィットーリオ・グイといった室内楽コンクールの審査員を務める。現在、ミュンヘンホッホシュ-レの教授。
-この度はインタビューにご対応いただきありがとうございます。最初に簡単な略歴を教えていただければと思います。
松田 東京芸大音楽学部と大学院を出てすぐにパリに行きましたが、やっぱりドイツがいいと思ってミュンヘンに来て、そのままいます。
-パリにはどのくらいいたのですか?
松田 半年くらい。その後行ったり来たり。通りすがりのような感じです。
-ではすぐにドイツに?
松田 そうです。今はミュンヘンに来て41年目です。まずはこちらで試験を受けて特別優秀成績をもらい、マスタークラスに入りました。それが終わってすぐに、アウグスブルグにあるモーツァルトコンセルバトーリウムの常勤になりました。
教える方では、故郷 京都の芸大に2005年~2009年の4年間教えに行きました。その間に少し体の具合を悪くしてしまって、「辞めさせてもらいます」とドイツに戻りました。それでこちらに戻って、ミュンヘンのホッホシューレの教授をしています。
-音楽に興味を持ったきっかけは何だったのですか?
松田 非常に単純です(笑)。私が生まれたところが桂離宮の横で、昔はその辺は田んぼだったのですが、ご近所のお父様で、大阪の関フィルで吹いている方がいらして、そこに大阪からピアノの先生が来てらっしゃいました。そこで姉がレッスンを受けることになって、それをすこし聴いていたらしく……。それで「康子ちゃんも始めてみる?」と言われて、弾いてみたらパパパッと弾けたらしいんです。聴いていたのは半年か1年くらいでしょうか。なので聴い
てはいたけれど、始めたのは割と遅くて7歳をすぎてからです。
-ではお姉様もずっと音楽をやっていたのですか?
松田康子さん/ミュンヘン音楽大学教授/ドイツ・ミュンヘン松田 姉は合わないと思ったのか、適当な所でやめていきました。
-ではその時の先生との出会いがきっかけだったと?
松田 そうですね。私にとってはそんなもので。母は音楽がとても好きで、子供にもやってほしいなと思っていたみたいですね。特に私からこれをやりたい!と言って始めたわけではなく、すんなりと世界に入っていってしまったんです。
-自分からというよりは、トントン拍子で進んでいってしまったと?
松田 そうですね。後年ピアノの先生に知らされたんですが、最初から問題なくササッとできて彼女にとっては天才児だったようなのですが、私にとっては「そういうもんだ」と思ってずっとやっていた感じで。
-ご自身では、音楽が好きだなと思うようなことはなかったのですか?
松田 勿論 無意識の中魅力的だったんでしょう。今のように、周りが音楽であふれていたり、お母様がピアニストで、おなかのなかにいる間に既に音楽を聴いていたり……そういう時代ではなかったですね。今とは周りの環境が全然違いましたから。出身が京都で桂離宮の近くなんて言っても、当時はすごい田舎だったんですよね。田んぼで隠れんぼをしてよく遊びました。なのできっかけはそんな感じで、歯車がどんどん動いて他の所に連れていかれちゃって(笑)。それが自然だっただけで。
-ドイツに行こうと思ったきっかけは?
松田康子さん/ミュンヘン音楽大学教授/ドイツ・ミュンヘン松田 東京に行って、周りのすごい友達などをみて、芸大に入ってもまだ始まったばかりのようなものだなと。それで「自分でもっと勉強したい」と思った、ただそれだけです。自分でそう思ったから、自分でやったんです。
-パリやドイツに行ってみて、良かった点、悪かった点はありますか?
松田 私が勉強していた時代 40年前ですが、その時に楽だったなんてことはひとつもありませんでした。今みたいにスカイプなんてないですし、コンピューターもないですし。1990年代では、世界からみると日本は贅沢な国でしたが、私はその前の前なので経済的にも大変ですし、日本人も少なかったし。突如として違う言葉の国に行って、ピアノのレッスンも先生が厳しすぎるくらい厳しくて、私にとっては学ぶことばかりでした。音楽に関しては「日本の方がいい」なんてことはなにもありませんでした。必死で勉強していました。
-音楽を学ぶ上で、ドイツの教育はこういう点がいいという所はありますか?
松田 生活と音楽がよりつながっていると思うことが多々あります。日本の場合はテクニック重視で、音楽会に行くと、びっくりするようなことをみんなができてしまっていますよね。でも生活には密着していない。今思うと、日本でよく勉強できたなと、そして今は日本の音楽の勉強レベルが向上したなと思います。ドイツは勉強している人でなくとも、音楽との接触が多いです。教会の鐘の音を聞いても、いろんな音があってイマジネーションがわいてきます。音楽をしていない友達でももちろん音楽会に行くし、音楽好きの人が「ホームコンサートをしたいから、ちょっと弾いてください」とか、生活の中に音楽が入っていると思います。京都の芸大で教えている時、生徒さんがホテルに呼ばれて音楽をするバイトをしていましたけど、それは普通の家庭に入っているということではないんですね。それがエクスポートとインポートの違いじゃないかなと思います。
-ヨーロッパに留学して、自分にとって一番重要だったことは何ですか?
松田 最初は主としてドイツ音楽を勉強しましたが、言葉がすごく重要ですね。言語とメロディーがくっついています。音楽の中でのアクセントの付け方にしても「ただ音を強くしなさい」ではなく、言葉に対して人の反応の仕方がこう違う、そうすると音楽という世界の中で、ポイントやアクセントになることが違ってくるという具合です。なので、その人がその土地でいかに吸収するかだと思います。日本の音の作り方はシラシラシラ~となだらかですから、そこが違うと思いました。もちろん日本人なので、日本由来のものを変えろとは思いませんが。
-そういう違いは、日本人にとって不利になることはありませんか?
松田康子さん/ミュンヘン音楽大学教授/ドイツ・ミュンヘン松田 日本人は静と動があれば、一般的には静の方が入りやすいですよね。それはそれで、特徴が出しやすいと思います。だからそういう曲をやるにはいいと思いますが、音楽には白と黒、静と動の両方があるので、どちらかしかやらないのではなく、両方が必要ですよね。私もバルカン地方の血の気の多い人とやると、普通の私より感情過剰に反応します(笑)。
-今仕事をしていて、日本人として有利不利を感じることはありますか?
松田 私の場合は、もう日本人だからという時期はすぎました。私は私個人としてやっているので。
-では最初の頃はどうでしたか?
松田 最初のうち、1970年代くらいには「日本人だからそう言われたのかしら」と思う事も多かったと思います。でも1990年代に入ってからは、たくさんのアジアの人がこっちに入ってきています。昔はアジア人というと日本人が多かったですが、今はそうではなくてコリアと中国が多い。だから人のことをけなす人は日本人だからけなすのではなくて、自分以外の人をけなそうと思っているだけなんですよね。それにドイツは日本人に対して、総じて親切です。第二次世界大戦の経緯もふまえて。
-松田先生にとって、音楽とはなんですか?
松田 地球上の自然世界、そしてあらゆる種類の人間の感情、それに天に向かった信仰と神、そういうものを音で表現しているものと思います。私にとって、音楽が私の世界です。
-では今後の夢としては、そういうものをどんどん表現していくと?
松田康子さん/ミュンヘン音楽大学教授/ドイツ・ミュンヘン松田 そうですね。自分が素晴らしいなと思う方向に近くなることが、一番の夢ですね。それと昔のように、一番素晴らしいオケと弾きたいというような夢は全くなくて、自分が思うことにどれだけ近くなるかを考えています。体力的にも20歳と50歳とでははっきりと変わっていくので、自分の理想像を追って。ある意味、毎日が夢みたいなものでもあり得ます。
-今も演奏活動はしているのですか?
松田 少ないけれどやっています。
-今後もそれを続けていきたいと?
松田 どこまで続けていけるかな、という疑問はありますが。私はもともとミュンヘンフィルハーモニーに呼ばれてデビューしました。ザルツブルクの大劇場でウィーンフィルで弾いたり、ポーランドで弾いたり、たくさんやっています。なので、日本には余り行っていないんです。一度京都で小泉ひろしさんと共演したり、2005年に沼尻さんとやったり、ミュンヘンフィルでは若杉弘さんの時に弾いたり。
-教員もしながら、演奏活動もされているのですね。
松田 今は教える方がほとんどですが、5年くらい前までは演奏活動の方が主だったんです。
-ドイツで成功する秘訣や条件はありますか?
松田 秘訣があるわけではないので、なんとも言えないですね。その人その人によって、自分が見つけていくことだと思うし。
-今後ドイツに留学したい、勉強したいと思う人にアドバイスをお願いします。
松田 その人が何を望んでいるかによっていろいろありますが、言葉をしっかり準備して、最初からドイツ語がしゃべれたり、理解できる状態で来た方がいいと思いますね。というのも、今は日本の音楽レベルも本当に高くなりました。いい先生が教えていらして。友達などもいろんな所で教授をしていて、本当に素晴らしいです。だからわざわざドイツに行かなくても……となることもあると思います。ドイツに来るなら、そこで自分が何を求めたいかを決めることだと思います。そしてそれは、ドイツ語ができなくて得られるものではないと思います。他のことは日本だって教えてもらえるし。
それと、今でも京芸からのつながりで学生さんが来るのですが、その方々を観察していて思うのは、いい意味でのより積極性が必要だと思います。しっかりと話すということを、小学校の頃からやっていないみたいな様子を受けます。こちらの人は学校に行く前から、自分の意志表示をすることを家庭の中で身につけています。日本では子供の頃はとても可愛がられて(躾に欠ける)、学校に行ってからどうのこうの……と、そういう根本的な所が違うんですね。留学最初は 私もドイツ語を話すのがいやで、なるべく話さないようにして人の後ろに隠れたいタイプで。そんなことをしていたらいけないなと、自分でとても苦しみました。お仕事を持って今のようになるには、自分の意見をしっかりと言えていかないといけないし。
-先生は事前にドイツ語の勉強をしていったのですか?
松田 あまりしないで来ました。だから自分の経験から感じることですね。それに今の人は、わからなければ、何でも素早くiPodや携帯を使ってすぐにみますが、頭の中に入っていない……。表面的なことでその場を終えていくんです。私の時はそんなものはなく、日本人との接触もすごく少なかったので、わからなければドイツ語でも他の言葉で言ってもらって理解していました。今は便利なことがかえって、本当に自分の実になることを妨げていると思います。
-今日はありがとうございました。

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