山口研生さん/ピアニスト/ドイツ・ベルリン

山口研生さん プロフィール

「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はドイツ・ベルリンでピアニストとしてご活躍中の山口研生(ヤマグチケンセイ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「音楽留学」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います。
(インタビュー:2008年5月)


ー山口研生さんプロフィールー

山口研生さん
山口研生さん

1969年生まれ。東京都出身。5歳よりピアノを始める。桐朋学園大学音楽学部卒業。92年DAAD(ドイツ学術交流会)奨学金を受け渡欧。ベルリン芸術大学卒業。これまで江戸弘子、柴沼尚子、エーリッヒ・アンドレアス、パスカル・ドヴァイヨンの各氏に師事。98年ポルト市国際ピアノコンクール第3位(ポルトガル)、99年第28回セニガリア国際ピアノコンクール第1位および室内楽賞受賞(イタリア)。2000年には、コンクール優勝経験をもつピアニストのみが参加する第11回モンテカルロ国際ピアノコンクール(モナコ)に優勝し、注目を集める。現在ベルリンを拠点に、ヨーロッパ、アメリカ、日本各地において独奏の他、室内楽など多方面にわたり活動している。



—  初めに簡単な略歴を教えてください。

山口 5歳でピアノを始めて、高校から桐朋学園へ進学し、大学にも4年間行きました。大学卒業後すぐにドイツに留学し、1992年にベルリン芸術大学に入学しました。

—  もともとご両親が音楽をされていたんですか?

山口 父がクラシック音楽を非常に好んでいました。私が生まれたときには、もう家にアップライトのピアノがありまして、それを父が弾いていました。それから姉がいるんですが、姉はいやいやピアノをやっていましたね。私はといえば、家族の二人が弾いていたので、物心ついたときには勝手に弾き始めていたようです。それを見た親が、この子は興味があるんだな、思ったようで、5歳くらいになったら近所のピアノの先生に見てもらおうか、ということで近所の先生のところに通うようになりました。

—  近所の先生というのは?

山口 すぐ近くの美大生のところに1年程通いました。それがピアノを始めたきっかけです。

—  楽しかったですか?

山口 楽しかったですね。5歳のときなのであまり覚えていませんが(笑)、イヤだと思ったことはないですね。日本でみなさんがやるようにバイエルから始めたのですが、進み方が早かったようでわりとすぐに終わって、ブルグミュラーやソナチネで練習していました。

—  そうなんですか。

山口 それで、父がすごくクラシックの音楽が好きなので、ラジオで流れている曲をカセットに録ったりして。それで、父も専門家ではないのでわからなくて、父が私に弾かせたい曲を楽譜を買ってきて与えるわけです。まだバイエルをやっていたときにショパンの協奏曲とかのベートーベン協奏曲とか……。それを弾けって言うんです(笑)。

—  すごいですね(笑)。

山口 ええ。でも、それが今の初見力に繋がっている気がします。

ベルリンで活躍中
ベルリンで活躍中

—  「できるわけない」とは思わなかったんですか?

山口 ショパンの曲の最初の何小節かを一生懸命弾いたりしましたね。

—  もともと家の中にクラッシックがあったんですね。

山口 ええ、そうですね。それで、それが嫌ではなかったんです。でも、子どもですから1年に1回くらい、嫌だなと思うこともあって、そういうときには、喝が入るんです(笑)。ピアノの鍵をかけられてしまったりとか…(笑)。そこで喜んでしまえれば良かったんですが、そうではなかったんですね。

—  一般的に中学生や高校生になるとロックやポップに興味がいくと思うんですが、そういう中でクラッシックをやり続けていたんですか?

山口 そうですね。全然疑問に感じていなかったです。もちろんテレビやラジオではそういった音楽もあふれていたんですが、特に他の方面には興味を示さなかったんです。ただ、姉はクラッシックに限らず、割と幅広く音楽を聴いていたので、日本のポップスなどを聴く機会はありました。

—  お姉様はまだ音楽をされているんですか?

山口 確か家にはピアノがあって、娘が二人いるんですが、上の子がブラスバンドをしていると聞きました。

—  音楽に興味がある家系なんですね。

山口 そうですね。親戚にも合唱団で歌っている人がいますし、父も合唱団をやっていましたし、ギターも弾きましたね。

—  家族でアンサンブルをしようと思えば出来るんですね。

山口 といいますか、していました(笑)。家に歌の楽譜があって、姉や父が歌うのを伴奏していましたね。それこそ、今やっていることと同じじゃん!って話ですが(笑)。だから、教育云々ではなくて、自然とそういうことが身に付いていた環境でしたね。今、振り返ると、生活していく中に自然と音楽がありましたね。

コンチェルトを奏でる
コンチェルトを奏でる

—  山口さんはソロですか?

山口 基本的にはずっとソロです。伴奏はソロと同時にしていて、それを今もしているという感じです。そのときにしていたことが全部、今の仕事になっている感じです。高校には作曲科というのもあったので、そこの連中が作った曲を弾いたりもしていました。ベルリンでもまったく同じことをしていましたね。

—  ベルリン芸術大学にはどういったきっかけで行かれたんですか?

山口 大学生になったくらいから漠然と留学したいなという希望があって、ただどこがいいのか分からなかったので、いろいろな人に話を聞いていたんです。それから桐朋には海外から先生をお招きして公開講座をしていただくというシステムがその当時あって、それをかなり活用していました。当時ついていた実技の先生もそれを勧めてくださったので、あらゆる先生のレッスンを受けました。アメリカからいらっしゃる先生もいれば、フランス、ロシア、ドイツ、イギリスと……それで、どこに留学するか迷っていました。

—  それはプライベートレッスンですか? それとも桐朋のマスタークラスのような感じですか?

山口 両方ありました。全て公開レッスンでした。

—  なるほど。それでいろんな先生のレッスンを受けて、どのようにベルリンに決めていかれたのですか?

山口 留学を考えたときに、現実的に費用の問題があって、両親からも奨学金を取れたら行っていいよ、と言われていたんです。それで、たくさんの奨学金制度に申し込んだんです。その中にDAAD(デーアーアーデー)というドイツ学術交流会のものもありました。それで、それらを申し込んでいるときに私が最初についたアンドレアスという先生が桐朋に来ていたんです。それでレッスンを受けて、そのときに日本の実技の先生が「彼に決めちゃいなさいよ」、と「あなたの弱点を全部おっしゃってたよ」、と。それで、僕もこれだ!とピンときていたわけではないんですが(笑)、そうだよなっ、という感じだったんです。

—  なるほど。

山口 それから、その数年前の20歳のときに、国際コンクールで初めてヨーロッパに行き、当時はまだ将来的にベルリンに行くなんて予想もしていなかったんですが、以前から留学していた友人がベルリンにいたので、どういったところか様子を見てきた経験があったんです。ベルリンの壁があいたのが1989年、その翌年、1990年、大学3年生のときでした。

—  ええ、ええ。

山口 コンクール自体はベルギーだったんですが、そこからベルリンの友人のところに列車に乗って行き、1か月くらい時間をとってヨーロッパを見て回りました。コンクールはとりあえず出てみて、という感じで、実技の先生にもコンクールよりヨーロッパがどういうものか見てきなさいと言われていたんです。

—  その経験もあって、ベルリンを選んだんですね。それですぐに受験されたんですか?

山口 いえ、日本の大学の卒業が3月で、アンドレアス先生に電話で奨学金を受けたことを話したら、「じゃあ、僕が推薦状を書きましょう」って言ってくださったんです。だから、ものすごくタイミングが良かったですね。そういうタイミングってすごく大切だなと思いました。

—  それで、奨学金を受けられたんですね。

山口 他は全部落ちてしまったんですが、めでたくDAADの奨学金だけ取れたんです。それで、1年間奨学金がもらえることになって、親への言い訳もできて、留学することになったんです。DAADの奨学金というのは最初の4か月だけ語学研修が出来るんです。フライブルクというところにありました。それに参加するために5月に出発しました。6、7、8、9月と滞在して、その間にベルリンとフライブルクを往復して、入試を受け、10月からベルリンに通うことになりました。

パスカル・ドゥヴァイヨン先生と
パスカル・ドゥヴァイヨン先生と

—  ベルリンの学校にはどのくらい通ったんですか?

山口 ベルリン芸術大学は本来5年間なんですが、日本の大学を卒業してから行ったので、日本で取っている学科などの単位が免除になって、ベルリンの大学の5学期目、つまり3年生から始められるんです。やらなければいけなかったのは、一部の学科と合唱でした。学科といってもドイツ語で受けるので大変でしたが、ちょうど同じ時期に高校卒業後にベルリンで高校から行っていた友人が、最初からベルリン芸術大学の講義を受けていて、どっちがいいかというのはその人によると思いました。初めからドイツで受ければ言葉が身に付くのも早いでしょうけど。

—  大学を卒業されてプロで活動されていくわけですが、クラシック音楽をドイツでやっていくのに良い点と悪い点を教えてください。

山口 悪い点を考えてみましたが、特にないんですよね。他の面でドイツの悪いところはいっぱいありますけど(笑)。でもそれを言ったら、どこの国にも悪いところはありますからね。良い点は、クラッシック音楽やそういった文化的なものが身近にあるということですね。日本でクラッシック音楽の演奏会というと、コンサートホールでかしこまってというイメージですが、ドイツではそうではない場所で演奏を聴く機会が非常に多いです。例えば教会やサロン風の空間,宮殿の広間のようなところに音楽があるわけです。

—  やはり身近ですか?

山口 身近ですね。例えば、オペラ劇場にしても、旧東と西を合わせて3か所あって、そこで年中やっているわけです。構えずに気軽に楽しめる良さがあるなと思います。余談ですが、日本でもオペラを楽しめるようにはなってきましたが、それでも来日公演となると、秒ごとにいくらかな?なんて考えてしまって(笑)、気軽ではないですよね。まぁ、経費がかかることなので仕方ないとは思うのですが。

—  ドイツでは演奏をする機会も日本にいるより多いということですよね。

山口 そうですね。そういう教会での演奏など細かい仕事も多いですね。細かいので報酬も笑ってしまうような額だったりしますが(笑)、結局そういう仕事もしていかないと、話が先に繋がっていかないというところはありますよね。

—  小さな仕事もして、仕事の幅を広げていくという感じでしょうか?

山口 私はそういう風にやってきましたね。

ドイツの湖畔で
ドイツの湖畔で

—  様々な国がある中でドイツを留学先にすることで重要だなと思われることはありますか?

山口 近道ではあると思います。やはりドイツ語をマスターするということは大切だと思うんです。それはいかにドイツ語圏の作曲家のレパートリーが重要視されているかということに繋がるんですが、バッハから始まり、モーツァルト、ベートーヴェン、ロマン派ではシューマン、ブラームス、そういった作曲家たちが喋っていた言葉なので、それを知るというのはすごく近道だと思うんです。

—  本質に直に触れられるような感じなんでしょうか?

山口 そういう環境でもあると思います。例えば、ベルリンは少し車で郊外に出ると、15分や20分で湖や森のある場所に出られるんです。そういうので、イメージがわきやすいということはありますね。

—  なるほど。作曲したときのイメージをを想像して演奏できるということですか?

山口 そうですね。東京にいてシューベルトを弾きたいと思っても、どうイメージして弾いたらよいのか分からなかったんです。

—  高層ビルを見てもイメージはわきにくそうですもんね。

山口 ははは(笑)。でも、のちに日本を旅をして日本でもそういうところはあるなとわかったんですが。ただ、私は東京生まれの東京育ちなので、そういった意味ではドイツに与えてもらったものは大きいなと思います。

—  他に何かドイツと日本の違いはありますか?

山口 時間の感覚がゆったりしていますね。逆にとろい(笑)。早くして、と感じることもあります。私は最近、日本の機能的なところがすごく好きですね。みんなちゃんと仕事してるな、みたいな(笑)。それは国を離れてみて、初めて気がつきました。

—  その後、ドイツで仕事をされていくわけですが、日本人がドイツで仕事をするにあたって、有利な点、不利な点ってあるんでしょうか?

山口 私は伴奏の仕事をよくするんですが、同僚には日本人が大変多いです。それは日本人の協調性が買われているんじゃないかなと感じますね。アンサンブルっていうのは、やはり1人ではできないので。その点は有利な点と言えると思います。それからドイツで、日本人っていうと、だいたい印象がいいですね。

—  へー、そうなんですか。

山口 そうですね、良い印象を持ってくれる人が多いです。反対に悪い点は、「日本人なんかにクラッシックができるか」みたいな人もなかにはいるんですよ。実際に私の先生も言っていたのですが、コンクールの審査員に行くと、「日本人に分かるわけがない」と言う人もいるようです。

—  あからさまにですか?

山口 はい。もう演奏を聴いてもいないそうです。そういうこともあるようです。

—  そのあたりはかなり不利な点ですね。

山口 でも、どんどん変わってきているとは思います。実際に能力さえあれば、彼らが耳を貸してくれることも多いです。最近、日本人はだんだん数が減ってきているのですが、韓国人の方が増えていて、しかもとても優秀です。韓国の評判は良くなってきていますね。

—  そうなんですね。

山口 私の通ったベルリン音大なんて、大学名を略してアルファベットで“UdK”(ウー・デー・カー)と書くんですが、そういう人たちが”Unterkunft der Koreaner(ウンタークンフト デア コレアーナー)”、つまり韓国人の宿泊所だなんて、冗談を言ったりするんですよ(笑)。

—  そんなに多いんですね。

山口 多いです。音大もそうですが、例えば夏のフランスで行われるクールシュベールの講習会が夏休みと重なることもあって、来る人が非常に多いですね。

—  日本人よりも多いですか?

山口 そうですね。そういう印象です。他の国はどうか分かりませんが、ドイツへの留学生は楽器に関わらず増えていますね。

Image —  山口さんにとってクラッシックとは何ですか?

山口 人の言葉になってしまうんですが、私が最近とても気に入っている南米ブラジルの作曲家ヴィラ=ロボスが言ったことなんですが、音楽というのは、返事を期待しない手紙のようなものだと。要するに未来の自分の知らない人、会わない人、どこにいるかもわからないような人に向けたメッセージである、と。その言葉が印象に残っています。

—  ははぁ。なるほど。

山口 それと、父がぼそっと「生きていく上で辛いことがあった時期にふと音楽が流れてきて、すごく癒された、やっぱり頑張って生きてみようかな、って思った」って言ってたんです。

—  素晴らしい言葉ですね。

山口 音楽って、そういうものであると思うんです。やはり演奏者の心、心だけではないですね、すべてがあらわれる気がします。

—  演奏者の状態、心の成熟度、ということですか?

山口 全部出ると思います。具体的にどうとは言えないのですが、今までの経験上、それは確かに人に伝わるものだと思います。

—  人間が深まっていけば深まっていくほど、それが必ず伝わっているという感じなんですね。

山口 はい。

—  逆に表面的にやっていれば、それは伝わらないということですよね。

山口 そうですね。嘘はつけない、ということです。

—  なるほど。それは非常に重い言葉ですね。

山口 多少は捉える人による違いもあると思いますがね。

—  ところで、良い演奏をしたときと、少し調子が悪いなというときと、やはりお客さんの反応は違いますか?

山口 必ずしも一致しませんね。例えばレパートリーでも自分があまり得意ではなく、これでいいのかなと思いながら弾いていたら、評価が良かったということもありましたし、逆に大学のレッスンのときに気持ちよく弾けたのに、先生に「救いようがない」と言われたこともありますし(笑)。具体的な話をすると、ブラームスには特別な思い入れはないのに、必ず良い評価を受けるんです。だからたまにブラームスをやりたいんです(笑)。逆に僕はシューマンがすごく好きなので、あらゆる先生の前で弾いたのですが、自分では気持ちよく弾いたつもりでもみんな同じ怖い顔をするんです(笑)。それ以来、シューマンから逃げていますね。

Image —  今後の目標などを聞かせていただいてもいいですか。

山口 正直なところ、これしか道がないというか、今さら音楽以外は考えられないと言いますか……。生活の安定を考えれば、もっと他にいいこともたくさんあるのでしょうが、道を誤ってしまったというか……(笑)。これしかできないので、これを究めていこうと思っています。それには、何事にも意欲的に幅広く取り組んで行きたいと思います。

—  なるほど。

山口 ソロはもちろん、機会があればオーケストラやいろいろな楽器とのアンサンブルもやっていきたいと思います。脱線しますが、ピアノって一人で弾こうと思えばいくらでもできてしまうわけです。弦楽器だと人と共演する機会も多いですが、ピアノの場合、一人で弾くのだけになってしまう人が周りを見ていても多いんです。それはやはり良くないと思っていて、例えば、ピアノ協奏曲を1つ弾くにしても、共演するオーケストラのそれぞれの楽器をわかっていたほうがいいと思うんです。

—  そうするとソロだけでなく、オケや室内楽など全般的に深めていかれたいということでしょうか?

山口 そうですね。バランスよく、やっていきたいです。

—  プロの音楽家で活躍する条件や秘訣を教えてください。

山口 そうですね、私自身、未だに必死って感じです(笑)。うまく流れに乗れたスーパースターは別ですけど、やっぱりね、大変なんですよ。周りにいた同僚達も、ここ(ベルリン)にいたいのか日本に帰るのか、まずは選択しなければならなかったんです。それで大半は日本に帰って行きました。ただ帰っても生計を立てなければならないので大変なようです。学校で教えようと思っても勤め先がなかなかなかったりね……。

—  なるほど、なるほど。

山口 私の場合は、とにかく実技を究めながら、同時に半分くらい伴奏の仕事などで時間を取られていましたね。ただ、それが向いていたんですね。それに自分が気がつく前に周りが気づいてくれて、自然に仕事ができるようになっていたという状況です。ただ、自分の前に出された仕事はいつも、「はい」と引き受けていました。

—  チャンスは確実にものにしていくということですね。

山口 そうですね。そういうのが億劫な人もいると思うんです。そういう人はソロだけになってしまう。自分のピアノの練習の差し障りになるからということで断ってしまう、それは人それぞれだと思いますが、私は人との交流は大切だと思いますね。私の場合は、そうしているうちに、ベルリン芸大ヴァイオリン講師のマリアンネ ベトヒャーという人が現れて、ある日、講習会で予定していたピアニストが出来なくなってしまったからやってくれないかと急に頼まれて、その仕事が次の仕事に広がっていきましたから。彼女自身もコンサートをしているので、サポートもしますし、そこからも新たな仕事にも繋がっていきます。

—  宣伝もしてくれるでしょうしね(笑)。

山口 そうなんです。それで、彼女はもちろん演奏も素晴らしいのですが、そういうことに関してものすごく才能があるんです。彼女を見ていると、こうやって演奏家をしていくんだ、と思います。ものすごいアピールをしますから。それでまた彼女は人柄も良いので、彼女の人柄を信頼して仕事に繋がっていくんでしょうね。

—  人柄も良くて、アピールもできるんですね。でも、そういう人とずっとやっていけるというのは、山口さんにとってもすごくチャンスですよね。

山口 そうなんです。それで、私の師事していたドヴァイヨンが、「キャリアを築きたいなら練習なんてしてちゃだめで、電話の前に座ってなきゃ」って冗談で言うんですが、それは半分は当たってたりするんですよね。本当はダメですけどね(笑)。

—  でも、それは仕事を取るという意味では当たっていますよね。面白いですね(笑)。

山口 そうですね。はははは(笑)。

Image —  海外に留学しようとしている読者にアドバイスをお願いします。

山口 やはり留学というのはせっかくの機会ですし、それを実現するための周囲の援助は多大なものです。そういう機会を与えられたのだから、何事にも貪欲に、間違いを怖れずに挑戦していくのがいいと思います。日本だと間違いはタブーという傾向があるけど、ドイツは割と間違いに寛大なところがあります。やはり間違いがないと学ばないと思うんです。

—  ええ、ええ。

山口 それから、大切なのは、成功することを第一の目標と考えない、目標の定め方が重要になってくると思います。留学する国によっても傾向が違ってくるのかもしれませんが……。この前、友人が留学する国によって演奏の仕方に傾向があると言っていました。アメリカの場合、自分を前に出す、自分のキャリアを考えてやっていく、それが演奏に現れている、と。ドイツはまったくそんなことはなくて、私の場合、またこんなところからやり直すの?という感じでした。本当に基礎的なことから学び直しましたね。

—  今日は素晴らしいお話を本当にありがとうございました。

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