植山けいさん/チェンバロ奏者/フランス・パリ


 「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回、パリでご活躍中の植山けいさんをゲストにインタビューさせていただきます。「音楽留学」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います。
(インタビュー:2012年1月)
―植山けいさんプロフィール―

ロンドン生まれ、東京育ち。2004年Paolo Bernaldiチェンバロコンクール第2位(イタリア)。第19回国際古楽コンクール<山梨>チェンバロ部門第3位(日本)。
桐朋学園大学ピアノ科、アムステルダム音楽院チェンバロ科(オランダ)、ロンジー音楽院チェンバロ修士課程(アメリカ)、ブリュッセル王立音楽院フォルテピアノ科修士課程終了(ベルギー)。現在パリと東京を中心にチェンバロ奏者、通奏低音奏者として活躍中。
2010年、レ・シエクルとプロメテウス21(フランス)によるバッハのチェンバロ協奏曲及び、ブランデンブルク協奏曲全曲演奏ツアーにソリストとして出演。その時の演奏が、フランス国内でラジオ・テレビ放映され、好評を博す。また、オランダやアメリカで開催したコンサートでの演奏を地元メディアに取り 上げられ、高く評価された。ボストン古楽音楽祭(アメリカ)、モーツァルト音楽祭(ユネスコ世界遺産ヴュルツブルグ宮殿、ドイツ)に出演。サル・プレイエル(フランス)、シャペル・ロワイヤル(ヴェルサイユ宮殿、フランス)、ブリュッセル王立楽器博物館(ベルギー)などでも演奏会を行う。2001年には、 ボストン(アメリカ)ならびに東京において、バッハ・ゴルトベルク変奏曲を演奏し、チェンバロ奏者としてデビューを飾る。2012年、デュポールのチェロ ソナタ全曲を、チェリストであるラファエル・ピドゥーと世界初録音し、スイス・ノイシャテル博物館所蔵J.ルッカースチェンバロでバッハ:ゴルトベルク変 奏曲のソロ録音がリリースされる。(2枚ともIntegral Classicより発売)
これまでピアノを小島準子、ヴィクター・ローゼンバウム、フォルテピアノをピート・クイケン、ボヤン・ボティニチャロフに、チェンバロをピーター・サイクス、メノ・ファン・デルフト、クリストフ・ルセ、ユゲット・ドレイフュスの各氏に師事。G.レオンハルト氏のマスタークラスに参加。
- まずは、植山さんの簡単なご経歴を教えて下さい。

 
植山  小学校1年生から中学校3年まで9年間桐朋学園の音楽教室でピアノを習い、その後桐朋女子高等学校音楽家、桐朋学園大学大学のピアノ科へ行きました。卒業半年後にアメリカ・ボストンのロンジー音楽院に2年の予定で留学しま。けれども、フォルテピアノやチェンバロにも興味を持っていたのでピアノレッスンと同時に古楽器を習い始め、ピアノのデイプロマを取得後にチェンバロ科の修士課程を2年しました。その後古楽の盛んなヨーロッパできちんと17-18世紀のスタイルを学びたいと思いアムステルダム音楽院に2年行き、フランスのバロック音楽を理解するにはフランスへ住まないと無理だと思い、その後パリへ行き6年間過ごしました。気が付いたら3カ国で13年を過ごし本帰国したばかりです(笑)。
 
- チェンバロに初めて触られたのは?

 
植山  高校の時、有田正弘先生の古楽実習という授業を受けました。その最後の授業で、先生のお宅を訪問する機会があり、博物館みたいに色々な楽器が置いてあり、初めて18世紀のアンテイ―クのチェンバロを弾かせて頂きました。まだ全然チェンバロの構造など分からなく、バッハ時代の鍵盤って言う程度の知識でしたが、今まで聴いたことのない音色で、ピアノ教育で受けた音楽観念をくつがえされるようなショッキングな出来事でした。有田先生の授業では、例えば、メヌエット、サラバンドという舞曲のスタイルや、ヨーロッパの17-18世紀の政治や風習などピアノのレッスンで聞いたことのない内容を初めて聞き、目から鱗でした。バッハのイギリス組曲なのに、その中にはフランス式やイタリア式で書かれたクーラントがあり、どうやって見分けるか、弾き分けるか、どの様なダンスだからテンポ感はこうとか。
みんな毎日8時間真面目に練習をして、怒られながらも耐えて、とにかく上手になることだけを考えて必死に頑張っていたと思いますが、初めて音楽とヨーロッパの文化のつながりを、有田先生に教えて頂き、【宮廷音楽家や作曲家は雇われて、王様のために作曲していたんだよ】とか、そういう基本的な事も全く知らないし!(笑)そもそもバッハが本当に生きていたのか・・・とすごく疑問でした(笑)。
そういう意味で、楽譜上の音符をただ綺麗に早く上手に弾いてコンクールで賞を取るようになるということよりも、もっと本質的にどう音楽がヨーロッパで生まれ、親しまれ、発展して、ヨーロッパ文化の中に浸透してきたのかということに興味を持ち始めました。バッハの音楽などは素晴らしいから300年経った今も残って、日本も含め世界中で弾かれているっていうことを、日本のピアノ教育の中では理解しきれなかったんですよね。
 
- なるほど。それを有田先生が教えてくださったと。

 
植山  新しいドアを有田先生が開けてくださったというか…。
だから私の周りの今バロック音楽を弾いている友達は皆、日本や本場のヨーロッパで一流の団員として世界ツアーをして活躍していますけれど、みんな元々モダンバイオリンやモダンピアノを頑張ってきた子が、よりその作曲家に近づきたいっていう思いで、バロックに目覚めてしまった(笑)という感じです。
私は小さい頃から、「モーツアルトは真珠がころころと転がるイメージで弾いてね」とみんな言うけど、一体誰が決めたんだろう(笑)?って子供ながらにすごく不思議でした。ドイツという国にも行ったことないし。
【モーツアルトが天才、天才と言うけど、本当に生きていた人なのかな?】とか疑問でしたが、ウイーンのモーツァルトハウスに行って、実際に作曲していた天井に天使が描かれている綺麗なお部屋なんですけれど、そこを観て初めて生きてたんだなあって思いました。モーツァルトが実際に使っていたフォルテピアノやベートーベン、ハイドン、メンデルスゾーン、リストの家が博物館になっている所へ実際に行って、どういうフォルテピアノを使っていたかによって、今現存するほぼ同じモデルのフォルテピアノを弾かせてもらい、作曲家がイメージしていた【音の世界】を知ることができるんですね。すると、スタンウェイを弾いた時も、それぞれの作曲家がどんな音色のピアノを弾いて作曲をしていたか、随分イメージがはっきりして、より作曲家の音の世界を近くに感じれる様になりました。アメリカやヨーロッパの旅行の先々で弾ける楽器博物館や個人のコレクションは出来るだけ訪ねて行って弾きました。そういう意味では、高校の頃から、古楽器に興味を持ち始めました。
 
- 日本にいる間はピアノを専攻してらしたのですよね?

 
植山  はい。小さいころから練習したピアノから、例えばチェンバロに替わる、フォルテピアノに替わるって、多分日本では、替われる勇気がでないんですね。先生も猛反対するだろうし、親は勿論、周りもそんなこと許されない雰囲気。アメリカは、【何歳になっても勉強し続ければいいよ】という、学びたい事や年齢に関係なく、みんな好きなことを自分の人生でやっていくという、すごく自由な雰囲気なので、私のピアノの先生はバロックが嫌いにもかかわらず(笑)、【人生一回だからお好きなことやりなさい】って言って下さって…。本当に感謝していますね。
 
- いくらアメリカとはいえ、専攻を替えようと思った時には勇気が必要ですよね。

 
植山  ええ、半年間毎日悩みましたね。今までのピアノ―チェンバロに転科したのはアメリカで2年ピアノを勉強した後だったんですけれど―それが24歳の時で、ほぼ20年勉強してきたピアノを捨てるのか、ピアノの蓋を閉めるってことなのかという恐怖感があって…。
果たしてチェンバロが自分に合っているかも全く分からないし、誰にも訊けないし、他に例がなかったので(笑)。
 
- 専攻を替える方も少ないと思いますが、その中でもチェンバロは少ないですよね?

 
植山  桐朋の卒業生はモダンピアノでロンドンとかドイツで留学して、イタリアとか、ジュリアーノ、インディアナとかみんなモダンピアノですね。
 
- チェンバロに替わると活躍の場面も、またピアノとは違ってくると思うんですけれど。

 
植山  全く違いますね。
 
- チェンバロのリサイタルなどは、数は少なくともある?

 
植山  勿論あります。チェンバロやバロック音楽を日本へ紹介していく意味で切り開いていった方などいらっしゃいます。ピアノ人口が100人いるとしたら、チェンバロ人口は3人くらいだと思いますが。
 
- チェンバロですと、まず楽器がどうやって保存できるのかとか、お家で大丈夫なのかなとか心配になってくるのですけれど。

 
植山  そうですよね、色々分からないことが多いですよね。まず私の感覚でいうと、チェンバロのタッチはピアノの鍵盤の3分の1位の軽さなんですよ。なので、ピアニストがいきなりチェンバロ弾くと叩きすぎちゃって壊れてしまったりします!
ピアノとの決定的な構造の違いはピアノがハンマーで音を出しているのに対して、チェンバロは小さな爪の様なもので弦をはじいているので、どちらかと言うと、ハープに鍵盤が付いているようなイメージです。チェンバロの弦をはじく部分は、17-18世紀は鳥の羽を削った1mmくらいの爪みたいな物だったんです。上手いチェンバリストとほど、殆ど動かないんですね、指が何にもしてないように見える。例えばバイオリンのピチカートを、より大ホールで響かせたいと思ったら、浅くはじいてしまうと全く響かないのと同じで、より張力を感じて最後にぷちんって弾く方が響きますね。
 
- はい、そうですね、分かります。

 
植山  あれをチェンバリストは指でやっているんです。
 
- なるほど。

 
植山  叩くと逆に音は潰れて汚い音しか出ません。鍵盤のほんの2、3ミリを触った時に、鳥の羽(今はプラスチックの爪のような部分)が、弦に触れてはじくまでをいかに感じられるかっていう、ミリ単位の指先の感覚が必要なんです。チェンバロに替えた時には、体にモダンピアノの20年の癖が入っていたので、叩くし、腕は回す、肘がなぜか歌ってるというか勝手に動く!(笑)肩も体も前後に揺れるという癖を一切止めて指だけをミリ単位で鍛えるというピアノの癖を抜く所から始めました。
 
- 大変そうですね…。

 
植山  練習する時に、自分の動きが大きすぎるなって思った時は、背中を固定するために、ものさしがなかったので(笑)、傘を背中に差して練習しました(笑)。いかに自分が無駄な動きをしているかが分かります。とにかく指は脱力して力は一切必要ないので、ピアノの筋肉は全部落ちましたね。
 
- では今はピアノを弾くとなると大変?

 
植山  今、ピアノを弾くと筋トレみたいですよ(笑)。モーツアルト時代のフォルテピアノは、まだチェンバロが存在した時代に発明された初期のピアノなので鍵盤も軽く、チェンバロのテクニックで弾けます。フォルテピアノが発明されて楽器の構造が変わり、強弱が出せるようになり、モーツァルトは最新の楽器に大喜びしてピアノソナタを作って…それは本当に感動的なことだと思うんですね。だから、私は(最新技術であるピアノから)チェンバロに戻りましたけれども、あれだけの進化を遂げた、ピアノにしかない魅力は素晴らしいと思います。ブラームスの曲を聞いたりすると、赤い絨毯を歩いているような重厚さを感じますし、それはバロック音楽とは違う魅力ですね。
チェンバロをアメリカ、アムステルダム、パリで専念した7年後くらいに、フォルテピアノを学ぶ最後のチャンスだと思い、パリに住みながらベルギーのブリュッセル音楽院のフォルテピアノ科に入り、2年間通いました。月1回パリから新幹線みたいなタリス高速列車に乗って通いました。パリから1時間20分で行けるので、千葉から東京に行く感覚で(笑)通っている生徒さんが沢山いましたよ。パリのオーケストラでチェンバロの仕事をしていたので、さすがに4ヶ国目に引っ越して一からやり直すのは無理だと思い、2年間ハイドンのフォルテピアノ初期時代からフランクのロマン派の時代の曲まで違うフォルテピアノ、構造に対してどの様に弾きわけるかという事を勉強しました。チェンバロから今のモダンピアノまでへの発展を学んですごく良かったですね、そういうことは日本でなかなか学べないので。
今パリではモダンとバロックの両方を弾きこなせるという事がオーケストラなどの仕事でも需要が増えています。例えば、パリオペラ座のオーケストラの団員で、仕事もキャリアも安定しているのに、再びバロックヴァイオリン科に入って学ぶ方等いらっしゃいます。モダンだけじゃなくて、バロックも弾けるっていうのが、今流行っているというか、アラモードになっていて、バロックの弓に持ち替えて弾けるようになりたいって人たちも結構多いですよ。
まだ日本では、モダンはモダン、バロックはなんか古臭い、なんであんな異色な!っていう感じで観られますよね(笑)
 
- 日本では確かに住み分けというか、全く別のものになっている感じがありますね。最近フランスへ留学したいと言う学生さんが増えているように思うのですが、幅広く自然に勉強できるからっていう理由があるのでしょうか?

 
植山  うーん、個別の楽器のことは詳しく分かりませんけれど、木管金管系は確かにすごく上手ですよね。
 
- 元々ヨーロッパで始まった楽器ですしね。本場にいくってことがそれだけで勉強になりますよね。

 
植山  ピアノは例えばアメリカ、中でもニューヨーク、いわゆるジュリアード系のピカピカの明るい音でばりばり弾くと、聴衆も喜んでくれる。だけれど、そういう演奏をヨーロッパですると、良く弾けるけど、スタイルが分かっていないのでは?内容が浅い・・・と言われたりすることがあります。
アメリカ、またはヨーロッパに留学するかで全然違うし、ヨーロッパの中でもイタリア・フランス・イギリス・ドイツではそれぞれ違うと思います。自分がフランス音楽をやりたいのか、ベートーベンを極めたいのか、先生との出会いにもよりますし。ロシア人でも素晴らしいバッハを弾くか方もいますし。
逆にロンドンに12年ピアノ留学・お仕事をしている友達は、イギリスはフランスにもドイツにも属していないから、自由で割と個人を尊重してくれると言いますね。でもイギリスはヨーロッパだから伝統的なスタイルから外れたことは好まないと思います。アメリカはスタイルをとっぱらって、彼女の弾き方は素晴らしいと、人間性をそのまま受け入れてくれる人たちなので。同じ自由でもアメリカとヨーロッパでは、その雰囲気や趣味が異なると思います。
 
- 最初ご留学されたのがアメリカなのはなぜだったのでしょう?

 
植山  高校3年生の時にローゼンバウムという先生が、ボストンの音楽院の学長兼ピアニストをしていて、学校で公開レッスンを受けました。毎年、日本で公開レッスンをされていたので、高校3年生から4年間、毎年参加していました。初めてショパンのバラード1番のレッスンを受けた時に、「この先生と何か通じるな」とピンと来たので翌年、大学生になって夏期講習をボストンへ受けに行きました。ご縁ですね。
大学の時はフランス語を始めて、とてもフランスに惹かれていたので旅行へ行き、3、4年生時には講習会を受けに行ったり、フレーヌ音楽祭に行ってレッスンを受けたりしましたが、そうぴたっときたわけでなくて(笑)。特にフランスの先生は個性が強いので(笑)。自分に合うか合わないかは、レッスンを受けて確かめる以外にないと思うんですよ。
 
- 人から聞いても違うこともあると。

 
植山  ええ、実際友達に薦められて受けたけれども、全然私にはぴんとこなかった事もありました。アメリカ人はとてもオープンでコミュニケーションがしやすいのですが、フランス人はコミュニケーションがすごく特殊なんで(笑)。オープンというより、プライベートな感じを好む方が多いと思います。フランスが個人主義の保守的な人たちが多い国だと思います。それは、伝統や歴史があるので重んじるという所からも来ていると思います。
例えばアメリカ人だと、ハロー!ハワユー (How are you?) って誰にでも笑顔だし、みんな気持ち良く接してくれて、ちょっと弾けばブラボー!!!という感じで、若い頃に行くと伸びると思います。褒めて褒めて伸ばす方針。
フランスは本当に良い時にはトレビアン!と言うけれど、【悪くない=パマル】という表現を聞くことが多いです。例えば日本語で、演奏後に【悪くなかったね】と言われたら、褒め言葉でないですよね。だけど、フランス人は皮肉屋さんなので、割と気に入っている場合もパマルと言うんですよ(笑)。パマルはどうやら褒め言葉らしい?ということが、2~3年後にフランス人の友達に聞いて分かったり!国によって認め方も違うんだなって(笑)。
パリに住み始めた最初は2年間本当に何も起こらなくて、落胆しました、本当に厳しい…。パリって華やかな、人生薔薇色みたいなイメージがあるのに、実際に住んだら灰色みたいな(笑)、ギャップがあれだけ大きい街は他にはないのではと3ヶ国住んでみて思いました。一番苦労もしたけれども、6年間とても貴重で素晴らしい体験をさせて貰えたと思います。どの分野の音楽でも一流がいらっしゃいますし。
 
- そうですね。やっぱり留学先にもよるんでしょうか。

植山  人により国との相性はありますね。でもどこに行くにも、勉強する先生によって大きく印象も充実感も変わると思います。先生が素晴らしい演奏家でも、初めて外国暮らしで、家の借り方も分からないし話せない。だけれど先生はほったらかし、ツアーで忙しくて不在で月に数日集中レッスンのみという場合もあります。行ってみて現状が分かることが多いので、留学前に1度どういう場所か、町や音楽院の雰囲気、何よりも先生と信頼感があるのか実際に行って確認するのは良いと思います。
 
- なるほど。

 
植山  私も最初は本当に数え切れないほど失敗をして、パスポートを盗まれたり…。アメリカからヨーロッパに大陸を変える引越しは結構大変でしたね。
 
- アムスではどうやって師事する先生を見つけられたのですか?

 
植山  オランダは、チェンバロやフォルテピアノでいうメッカ・聖地なんですね。先日亡くなられた高名なグスタフ・レオンハルト、ピアノでいえば、リヒテルみたいな方が生きていらしたのと、彼のメソッドがやはり主流でオランダに10年以上留学していたフォルテピアニストの先輩に聞いて、重い荷物をガラガラがらがら引いてレッスン受けに行って。
アムステルダムの先生は、1回しかレッスンを受けなかったんですけれども、とても充実していました。時間きっちりで、連絡メールもすぐ返信があり、イギリス組曲を2時間びっちり丁寧に教えて下さって。ボストンの初めてチェンバロを教えて頂いた先生は本当に面倒見の良い、大らかな先生で、彼以上に素晴らしい先生はいないと思っていました。けれど、5年間、一からチェンバロを教わり、元々ヨーロッパで生まれたチェンバロを、アメリカ人だけに習うのはどうかと思い、文化的背景を学ぶ為にも発祥の地、ヨーロッパへ行こうと思いました。
ボストンの先生はヨーロッパのコネクションがなかったので、自分で行くしかないと思い、スイス・フランス・ベルギー、オランダを強行突破の様に先生探しの旅をしました。実際、アムステルダムの先生と勉強し始めたら、井の中のかわずで、知らないことがこんなに沢山あるんだと、また一からやり直しいう感じでしたね。
 
- なるほど。フランスに行かれた時はすでに演奏家として?

 
植山  いえ、まだアムステルダム音楽院を卒業したばかりでした。22歳でアメリカに行き、27歳でアムステルダムへ行った時先生に「もう27歳?僕は32の時には子供が3人居たよ」って言われました(笑)。でも、ベルサイユ宮殿で盛んだったフランスのバロック音楽は、ドビュッシー、ラベルに通じる、フランス人にしかないエスプリや雰囲気があり、実際フランス語で話して、暮らしてみないと絶対理解できないだろうなあと思っていました。特に、チェンバロの練習曲や教則本は17世紀の古フランス語で書かれているので原語で読んで理解しないと、演奏法がわからない。すでに29歳で、コンヴァト(コンセンヴァトワール)国立申し込みが30歳までなので、ぎりぎりだったんですけれど、さすがに学生こんなにやったから、うんざりしていたので、何にもプランなしで(汗)、ただフランスに行く!行くぞと(笑)。
 
- 勇気がありますね!

 
植山  なぜかフランスに行かずして日本に帰れないと思っていました。
 
- ビザとか大丈夫だったんでしょうか?

 
植山  ブローニュ(パリ郊外)にお家が見つかり、歩いてすぐの所にブローニュ地方音楽院があり、そこに素晴らしいチェンバロの通奏低音科の先生がいるといことで、2年間修士課程を勉強しました。
そうこうしてるうちに、仕事につながって行きました。
 
- 仕事を得るきっかけはあったのでしょうか?

 
植山  友達からの1本の電話のみです!チェンバロの場合は、自分で履歴書をどこかに送るなどの機会がないんですよね。大概のオケってチェンバロ奏者は1人いれば十分なんですよね。
それでも、バロックオケは日本の10倍以上あります。それだけ仕事もコンサートもあるし、著名なオケの場合は2~3年先まで演目が決まっているので、いつチェンバリストが必要と随分前から分かります。団員の人が弾けなかったら、友達の誰でもいいから、弾ける人を探すとなります。友達に、「来月ヒマ?」と聞かれて、「あいてるよ」と答えて、そこからですね。
私はそれまでオケと一緒に弾く機会がほとんどなかったので、失敗ばかりでした!全然違うところで、一人だけ入っちゃったり(笑)、私のせいでもう一回振り直しなんてこともありました。みんなこっちを振り向いて冷たく見られたり…ただでさえアジア人で浮いているのに(笑)。最初は挨拶もしてくれないし。ようは弾けてなんぼってことです。弾けたら何となく…良いとも言わずに何回かコンサートに呼ばれて、続けて電話がかかってくれば、前回は大丈夫だったらしいと(笑)。そんな感じで未知の世界が一杯でした!
そこから輪も広がり、別のメンバーが、自分の地元で音楽祭をやりたいから弾いてと言われて行く、そこに行って別の人に出会い、なんか一緒に弾こうよと言われ、アンサンブルのメンバーに知らぬ間になっていて(笑)・・・とか。
アンサンブルのメンバーに誘ってくれた友達の旦那さんは実は有名なピアノトリオのチェリストだったのですが、私1人だけ何も知らなかったんです(笑)。
アンサンブルのブランデンブルグ協奏曲の初合わせに行ったら、「バイオリンの方も上手だけど、全然バロック分かってない、ブラームス弾くみたいにバッハを弾いてる、この人何者なんだろう?!」って思ってました(笑)。チェリストの旦那さんは、コンセンヴァトワールでモダンとバロックチェロを勉強して両方に精通している方で、一生懸命バイオリニストさんに教えてあげているんですよ。かたや奥さんの彼女はバロック専門、なのに一言も言わないので「なんでガーガー弾くあの人に、教えてあげないの?」とリハーサル後に聞いたら、「彼、誰だか知らないの?タワーレコードにCDが20枚はある人だよ」と。誰?!私だけ知らなかったの!?その人に「君のチェンバロ音が小さすぎて僕聴こえないよっ」って言われて、「すみませんけれど、あなたの音量が大きすぎて、あなたのせいでですよ」って答えてしまいました(笑)!!彼女は、あの有名なチェリストの奥さんと見られることが多く、それが嫌だったので自分からは言わないことにしてたみたいなんですね。それでも有名だから大概の方は気付くのでしょうけれど、私は外国人だし、知らないし、分からなくて(笑)
 
- 奥様はきっと楽しかったですよね。

 
植山  そうですね。相当ボケたキャラクターに思われたみたいです。それがご縁で、旦那様とも3年間一緒に弾かせて頂き、ブランデンブルグのヨーロッパツアーなどをその後ご一緒して、パリコンサートのライブ録音はクラシックのラジオ番組で放送されたりしました。私は2011年2月に本帰国した後に、そのご夫婦から6月~11月に「この日とこの日は空いている?」聞かれ、「ベートーベンとも交流のあったデュポールという作曲家の世界でまだ誰も弾いていないソナタ全集を世界で初めて録音しないか?」ということで、日本ではなかなかできない企画だったので、もう1度フランスに5カ帰りました。その間に、ゴルトベルク変奏曲を380年前のマリーアントワネットが所蔵していたというスイスの博物館にあるチェンバロで録音もしたので、3月に2枚のCDがパリと日本を含む15ヶ国で発売されます。
元を辿れば、友達からかかってきた電話1本からここまで繋がって、みんなに本当に感謝です。
 
- 人との繋がりが基本というか、大切なんですね。

 
植山  とても大事だと思います。急いで音楽家を探している場合、信頼する音楽家に電話して、「君が無理ならば、君が信頼している他の音楽家を紹介して」という運びになるので、そのコネクションの中にいるかいないかというので仕事量が変わってくるみたいですね。
努力している子は何かとコンサートやリハーサル、カフェやご飯にも顔を出し、パリの音楽家の中に浸透していましたね。留学中は学校で勉強してコンクール等で頭一杯だと思いますけれど、その土地で音楽を仕事として生きていきたいならば、言葉が話せないと勿論無理ですし、積極的に自分でこういう事をやっていきたい、アンサンブルをしたいん、こういうコンサートをしたいので場所やオーガナイズできる方を紹介して欲しいと自分ではっきり主張しなければ動いていきませんね。
 
- 日本人は、自主性や積極性が、ヨーロッパに比べて、大人しいとよく言われますが。

 
植山  自主性や積極性は大事なんですけれど、ヨーロッパの人に比べて、日本人は自己主張をするように育てられていないから…。譲り合って、相手のことを考えるのが美徳ですからね。でも、徐々に慣れていくと思いますし、はっきり自分の意見を伝えるというのは、音楽家としても必要な事だと思います。
 
- 今後の音楽的な夢は?

 
植山  チェンバロという楽器がまだ広く知られていないので、少しでも多くの方に知って頂けたら嬉しいです。
バッハをピアノで演奏していた時に、装飾音に悩んだり、分からない事が沢山あったのですが、ピアニストの方にもチェンバロでバッハを元々どのように弾いていたか知って頂けたら、ピアノでバッハを弾く時に良いヒントになるかと思います。パリで日本人のピアノの先生を教えていましたが、「チェンバロはこんなに新鮮なんですね」ってすごく喜んでいらっしゃいました。そういう意味で世界を広げるというか、魅力を体験してもらいたいなと思っています。
 
- これから留学したい海外で活躍をしたい音楽家にアドバイスありますか?

 
植山  日本人の真面目さ、勤勉さやテクニックでは世界で高く評価されているし、外国人の先生の間でも礼儀正しい事も含め定評があります。でも、外国には「テクニックはあまりなくても、なぜか魅力的なんだよね、あの人の演奏って…」という演奏が多いですが、そんな音楽的な魅力が日本人に加わったら良いのではないでしょうか。
 
- 外国人はどうしてそういう方が多いのでしょうか?

 
植山  私も、それはどうして?どこから?と考えてきました。
向こうの人は、真面目に練習するだけでなく、コンサートや美術館や文化的な一流のものに日常の生活で自然に接し、感性を高めていると思います。また、テクニックがなくても自分がどの様に表現したいかというイメージやアイデアがはっきりしていると、やはり音楽を通して訴える力が強くなるのではないでしょうか。
日本人の私たちは、きちんと弾くという所をまずクリアしてから表現力という感じですが、外国人は表現する為にこういうテクニック必要・・・まず表現力を重要視していると思います。
例えば、自分が今現在弾いているドビュッシーの音楽を、家に行くこともできるし、博物館にあるドビュッシーが弾いて作曲していたエラールのピアノを誰でも弾かせて貰えます。現地でしかできない経験を沢山していく事が宝だと思います。失敗を恐れないで下さい。私は数々の失敗をして学んできたタイプですが、恥ずかしいと言っている場合でなく、何でも経験して、分からなければ教えて貰えば良いと思っていつも周りに聞いてました(笑)。恥ずかしいから話かけられないとか、あの先生に観て貰いたいけれど自信がないから今度にしよう、と思っていたら外国へ行ってしまったとか、本当に目の前にあるチャンスは、自分で掴んでいく、アンテナ張っていくしかない。
 
- そういうチャンスに気付けることが大切ですね、ぼんやりしていたら気付けない。

 
植山  私も最初友達に言われたのですが、温室育ちで音楽しか知らない人生でした。でも、留学は生活半分音楽半分というのが現状で、生活が上手く回らないと音楽にも集中できなくなってしまうんですね。ビザでトラブルがあって書類が取れないとか、それだけで移民扱いされちゃいますから(笑)。外国人警察署、移民当局へ行って、半日並ばされてやっと1年分更新して。「私は犯罪者か?」って気が滅入ることもあります。それでも、自分が何をしに来たのか目的意識をはっきり持つ事は大事ですし、自分が何かピピッと感じたら迷わずに積極的に行動することが次に繋がったり、コンサートで弾いてという話に通じる場合もあります。自分の留学生活、自分の人生だから、自分のために頑張ってほしいですね。みんな笑ったり、泣いたりと色々な時期があり全て含めて、やっぱり留学して良かったと思うと思います。そんな色々な経験が知らないまに音楽に深みを与えるのではないかと思います。自分では分からない場合もありますが、ドイツへ留学したピアノの旧友の演奏を聴いてガラッと変わっていました。より深みが出て素晴らしかったです。
 
- やはり日本という独特の環境もありますでしょうか。

 
植山  日本ほど安心して住めるところではないので、最初は大変だと思います。日本より平和は国はないです!エスカレーターが話したり、トイレが話したり、あれはフランス人衝撃ですよ(笑)!まさに、至れり尽くせりの国ですから。日本でどんなにエリートでコンクール歴がある方でも、留学して「もっと自由に弾いて」と先生に言われて、自分の心を開放するということが分からなくなることがあると聞きます。みんな悩んで、どん底に落ちて、1回自分を壊して、生まれ変わると、本人は気が付かなくても、先生のおっしゃることを信じて新しい方向で音楽を見つめたら、数年後には更にスケールの大きい音楽家になっていたということもありますので、恐れないでほしいですね。みんな知らない事や知らない場所へ身を置くのに不安なのは一緒。それでも、自分を信じて進めばいつか忘れた頃に良い結果が出たり、自分で自分の成長に気が付くかもしれませんね。
 
- 大変貴重なお話をありがとうございます。これから留学をする皆さんも参考にしてくれると思います。

 
植山  チェンバロという分野が留学生の方が多くはないと思いますので、お役に立てれば嬉しいのですけれど。
 
- チェンバロを目指す方だけでなく、広くみなさんに興味を持っていただける面白いエピソードをいただいたと思います。本日は本当にありがとうございました!

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*お知らせ*
ラファエル・ピドウー氏(チェロ)と共演のCDが4月末に発売となります!
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