霧生ナブ子さん/ジャズシンガー/アメリカ・ニューヨーク

霧生ナブ子さん/ジャズシンガー/アメリカ・ニューヨーク

「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロに皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はニューヨークでご活躍中のジャズボーカリスト霧生ナブ子(キリュウナブコ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「ボーカリストとしてニューヨークで活躍すること」についてお話しを伺ってみたいと思います。
ー霧生ナブ子さんプロフィールー

霧生ナブ子さん
尚美学園短期大学・作曲科専攻卒業後、ニューヨーク市立大学ジャズヴォーカル専攻卒業。クイーンズ大学大学院ジャズヴォーカル専攻修了。ビー・バップの伝道師として知られるジャズピアニストのバリー・ハリス氏の影響を強く受け、彼のジャズコーラス隊にも参加。そのグループでニューヨークの「タウンホール」や「シンフォニック・スペース」等の大劇場で公演。96年に渡米以来、ニューヨークのジャズクラブ「レノックス・ラウンジ」、「コープランド」などで定期的に活動を続ける他、ニューヨークのテレビ番組にも出演。2002年には有楽町朝日ホールにて霧生トシ子・コンサートで日野皓正(Tp)と共演し、同年にはジミー・ヒース(Ts)をゲストに霧生トシ子、太田寛二、アール・メイ(b)、ジミー・ラブレイス(dr)、デビット・ギルモア(tap)と共にクイーン大学でコンサートを行った。ニューヨークのブルーノートにて「J-JazzSisters」として公演も行う。アルバムは「シンキング・ラヴ」など。
ー  音楽に興味をもったきっかけを教えていただけますか?

両親が両方とも音楽家(*)で、小さい頃から音楽が家中に溢れていたんですよね。それで音楽は自分の無意識の環境にあって、一生懸命やっている意識はなかったです。どちらかというと子供の頃は演劇をやっていて、お芝居をずっとやりたかったんです。だから、小さい頃の夢は女優さんになることだったんです。
*)お母様が霧生トシ子さん、義父様が太田寛二さん
ー  それがどうして音楽の方に向かおうと思ったんですか?

10才の頃からNHKの劇団のオーディションを受けて、それからずっと高校3年生になるまで演劇やっていました。ホントにホントにお芝居が大好きで、毎年夏に公演やったりとかしてたんです。でもその中で音楽は自分が力をいれて一生懸命やらなくても人より優れているという感じはありました。例えばオーディションなんかでも一曲歌うと受かってしまうみたいな感じがありましたね(笑)。もちろん歌う事は好きで、何かあると歌って人の気を引いてしまうところがありましたね。その後も同じような事があって、日本の音大を卒業した後、マスコミ関係の会社に勤めていたことがあるんですけど、その会社の面接試験も一曲歌って受かってしまったと思います(笑)。会社の面接でも特技は?って聞かれますよね。ジャズを歌っていると言ったら、何かできる?って聞かれたんです。そのまま、アカペラで一曲歌ってその度胸を買われたんでしょうね。それで受かってしまった。私にとって音楽は、歌は最後の手段という感じなんです。
ー  それが音楽のプロになろうかと思ったのはどうしてなんですか?
 
大好評のCD「Singing Love」
19 才か20才ぐらいの時にインドに旅行に行ったんです。たまたま母が、私の義父と旅行に行く事になっていたんです。ところが彼が仕事で遅れてしまって、行くと言っていた予定の日にいけなくなってしまったんです。その結果私が母に誘われて、一緒に親子でインド旅行することになったんです。その後、義父が来てからは、途中で分かれて、最後に一人で日本まで帰ってきたんですよね。その時に、ある街からニューデリー(注:インドの首都)まで一人で電車に乗っていたんです。そこでたまたま隣に座ったインド人の女性がいました。もちろんその時は普通の音楽学校の学生の頃でしたし、英語なんかも話せませんでした。でも、その女性が非常に親切で、こちらの片言の英語でも一生懸命聞いてくれて、「何やってるの?」とかいう会話をいろいろしていたんです。私が音楽を勉強しているんだ、という話をしたら、いきなりその女性がその場所で、本当にいきなりインドの歌を歌ってくれたんです。本当にびっくりしてしまいました。日本の感覚からいったら外人が旅していて音楽勉強しているからと言って日本の歌はこうですよなんて、歌わないじゃないですか。だから本当に感動してしまって、その歌に心を打たれたんです。彼女に何回も歌ってくれる?といって歌ってもらい、その場で急いで楽譜に書いて、リズムや歌っている言葉をカタカナで聞こえた通りに書いて、何遍も歌っているうちに、歌を覚えちゃったんです。それで二人で一緒に歌ったんですね。そしたらその人が今度はびっくりしてしまってたんです!インドの言葉なんかもちろん知らないし、英語も分からない子が、いきなりインドの歌を、訳も分からない日本語のローマ字みたいな見たこともない文字でざーっと書いてあって、でも歌は一緒に歌える、みたいな事になったんですね。それですごい意気投合してしまったんです。道中二人でその歌をワーっと歌って、心は一つみたいな感じになったんですね。その時に歌ってすごい!と思ったんです。それで歌というのは人の壁を越えるというか、魔法のような力があるなと思ったんです。そういう訳で、歌の素晴らしさを知った経験を生かし、いわゆる「うまいシンガー」になろうというのではなくて人に何かを伝える、「メッセージを伝えるシンガー」になりたいなと思ったんです。日本の感覚でいうと歌がうまくないとシンガーではないという感覚があると思うんです。それまでは歌は好きでしたが、自分の中ではコンプレックスじゃないですけど、特別うまいと思ったことはなかったんです。特に音楽の環境に育ってきているのでやはりうまい下手はわかるんですよね。自分の中に特別歌がうまいとか歌の才能があるなんて思ったことはなかったけど、歌の意味とかすごさがその時に分かったので、だったら歌ってもいいかなと思ったんです。歌をうまく歌うなら自分のやることじゃないというか。歌って技術だけじゃないと思うのです。うまいとか下手じゃなくて、100人いたら100人の声でみんながそれぞれ話したりするのと同じように、それぞれの人間のドラマがあってそれを歌っていい、そういうものだと思うんです。それがインドで分かった、歌手になろうと思った大きなきっかけだと思うんですね。多分音楽って、日本でもこれだけカラオケが普及していて、みんなが歌っている中で心が通ったり、誰かが歌っているときにみんなで拍手をしたり、みんなで歌声をシェアするみたいなところがあると思うんです。そういうのがうまい下手ではなく、歌にはあるんです。もちろん、うまい人が喜ばれたりするんですけどね(笑)。だからもちろん一生懸命やってうまくなった方がいいですけど(笑)。
ー  感じる部分というのはうまい下手ではないですよね。そういう音楽性をお持ちの中で、ジャズになっていったという理由はあるのですか?お母様はもともとクラシックをなさってらしたんですよね?

ええ、母はクラシックをやっていたんですけど、母はジャズが好きで、一応そういう続きじゃないですかね。たとえば、今の義父にピアノを教えてもらったりして、それがたぶん私が、16歳、17歳とか。だからジャズが何、とかそういうこともわからなかった。普通に子供が習い事に行かされるじゃないですか、まず子供がそれが好きかどうかわからないけど、とりあえず剣道行ったら竹刀持って、っていうような感覚で、ジャズって言うものが私の中に入ってきたんです。
ー  じゃあ、根本的にクラシックとかポップスが入ってきたわけではなくて、いきなりジャズが入ってきたんですね。

でももちろん、その前にクラシックもピアノも習っていて、子供のころから、それこそ2歳、3歳のころから、ピアノを、祖母もピアノの先生なんで、習っていて、そういう意味でも物心つく前から発表会をやっていたりとか、中学校、高校のときはバンドをやっていたりとか、キーボードやったり、オリジナルを書いたり、普通に音楽をやってましたよ、今の日本の若い人たちがやっているような、音楽活動みたいなこと。それこそ、『平凡』『明星』とかのコードが書いてあるのを見て、弾いたりもしてましたね。音楽が例えばやっぱり八百屋さんの子が野菜に詳しいのとおんなじで、普通に考えてなくてもいろんな知識とか情報がわかるような感じでしたね。なんでジャズに意識を向けてきたかって言うのは、やっぱり、ジャズピアノを先に弾いたからなんですね。ジャズはいまだに、1930年代、40年代の曲がスタンダードとして歌われているんですね。例えばスタンダード曲の『My Fanny Valentine』は日本では良く知られていて人気でみんなが歌ってるんだけど、それぞれの歌手が自分の解釈で、自分のライフを下に歌ってるんですよ。だから雰囲気が違ったり、テンポが違ったり、それぞれ料理の仕方が違うんですよ。おんなじ曲を歌っているんだけど。それが例えば白人の世界だと違ったり、黒人の世界だと黒人ぽかったり。みんながそのただ違うだけじゃなく、その上、歌の内容によって、悲しい歌だったりするとみんなその人生の中での苦しい重いって言うのが出てきているというか、ライフの瞬間を見せてくれるというか、その歌自体にいろんな人が歌ってきた歴史と、その手垢がいっぱいついている、そういう重たさがあるんですよ。そして今度は自分が歌うことによって、歌のストーリーに魂(スピリット)を吹き込むんです。自分がただ歌ってるんだけど、もっと歌が持ってる不思議な魅力というか、いろんな人に語り継がれてきた、歌い継がれてきた重みで、今度は自分の体と声を使って、そのストーリーを語るみたいな。そういう意味では、そこがジャズの面白さとでしょうか。
ー  プロになろうと思って、アメリカに行こうとした渡米のきっかけは何ですか?

普通に会社で仕事3年半ぐらい勤めてたんですけど、仕事がきつくて、体を壊して入院して、そのときに病院のベッドに寝ながら、天井見ながら、窓の景色見ながら、いろいろ考えたんですね。勤務先の社長さんに頂いた御見舞いの花とか眺めながら、自分は何をやってるのかな、と思って。これだけ自分の時間とエネルギーを会社に費やすんだったら、ちょっと自分のためにやってみたらどうなんだろう、って思って。それがひとつの大きなきっかけだと思いますね。それとみんながとにかくNYいいよ、NY行ってみれば良いじゃん、っていうのでまず一回NYに旅行で来ってみたんですけど、やっぱり一目瞭然で、ちょっと普通に入ったバーで歌ってるおばあちゃんなどのジャズも、歌ってるのがレベルがものすごく高いくて、違うじゃないですか、全然。で、目からうろこのように、もう感動して、涙がいっぱい出て。これは今まで私が日本で、私ジャズやってますって歌ってたのはなんだったんだろう、って感じで。これじゃいけない、って。なんて私って、なんちゃってジャズをやってたんだろう、って。本場での洗礼ですね。これはマズイと思って。で、どうにかして、こっちに来るような方法はないかなと考えて、それから具体的に学校について調べたり、ビザのこと調べたりして、英語学校を探してまず留学しました。
ー  とにかくニューヨークに行きたかったっていうのがあったんですね。

一番最初は「ニューヨークが一番いいじゃない?」、ていうような感じで肩押されて、「そんなもんなの?」と思いながら行って、初めてその衝撃に出会って、そのショックを受けてからは是非NY行こうっていう思いですね。
ー  実際ニューヨークについて音楽活動をされていくわけですが、行かれてからご自分の音楽のスタイルって言うのはどうやって作っていくものなんですか?

私が思うには、とにかく人間関係、ミュージシャンの中に自分の環境ををおくということ。もちろん学校には行くべきと思います。大学でジャズを専攻し、たくさんの音楽理論とかジャズの歴史とかを習ってきたけど、やっぱりそれだけじゃダメなんですよ。それだけじゃ生きた体験にならない。それはほんとにジャズの場所に行ってそこにいて歌っている人たちと話して、その人たちがどういう人生を歩んできたのか話したり一緒にご飯を食べたり、そういうところでいろいろ学んでいくことってたくさんあると思います。
ー  コミュニケーションをしながら自然に出来上がっていくって、ことですよね。
 
ニューヨークのクラブにて
自分は吸収しようと思って行くわけだけど、ただ、テクニック的なことを学ぶってだけじゃなく、ジャズは特にアメリカのカルチャーなわけだから、黒人の歴史とか、彼らがたどってきた道などももちろんそうだし、教会の歌ももちろんそうだし、それがジャズと繋がり、ここ(NY)に来て、こうやって生活して、その人たちと一緒に歌ったりしてやっていかないとわかんない。日本でやってるだけだと全然違うと思う。やっぱり練習してうまく洗練されたものというよりは、私が今までたどってきた生活観からでるジャズだっていう部分を強調して行きたいと思ってます。
ー  技術じゃないって部分ですよね。

もちろん技術もあると思います。やっぱり下手だったらどうしようもないし。そこのところで技術的には日本人的にコツコツ、ここはやらなきゃいけない、ってやってきたというのがあるんですけど、人にはみせないような、それがないとなきゃダメだとは思うけど、それ以外の部分をコツコツやっただけじゃ、ジャズの味は出ないと思うんですよ。
ー  そういう部分では外国人と一緒に演奏する部分でも日本人とやるよりも、外国人と一緒にやるほうが吸収することが多いってことですよね。白人、黒人、ヨーロッパ人、NYにいるといろいろなジャズが吸収できると思うんですけど、それもまた違いますか?

それはそうだと思います。ほんとに違いますね。私はハーレムに住んでいるんですけど、そこら辺のバーに行くとやっぱりそういう人が好きそうなジャズがかかってるし、例えばダウンタウンいて、白人の人が多いところだと、歌詞の歌ってる英語とかも違いますよね。そういうのは本当に語学が出来ただけじゃ分からないじゃないですか、歌詞を聞いていて、アメリカのジャズのスタンダードのその曲をどの人が歌っているとかは関係なく、楽譜とか、英語とかを見ただけでも、これは黒人の人が作った歌だ、白人の人が作った歌だってわかりますね。それぐらい違うんですよ。言い回しとかで。でも違うけど、やっぱり人間だから同じ曲を同じスピリットで歌うわけだけど。女の人が去って行っちゃって、男の人が飲んだくれている、みたいな。同じ内容で歌ってるんだけど、語り口調とか黒人と白人だと違ってきたりするんですよ。そうなるといわゆる学校で英語を習ったっていうのじゃ無理ですよね。それを知るっていうことと、それを自分がジャパニーズでアメリカでジャズを歌うって言う特殊さををひしひしと感じるわけですよ。それはもう、日本で黒人の人が演歌歌手としてデビューするのと同じことなんですよ。でも、もし、日本で黒人の人が、生まれ育ってて日本語にアクセントもなくて、ゴスペルのようなスピリットをもって歌ったら結構感動するかもしれないじゃないですか、それと同じように、私は日本人だけど、やっぱり自分の中でジャズに対しての敬意もあるし、自分の生きてきたライフの中でいいと思ってきたことを表現していくっていうことは、私の中で子供のころにやっていた演劇というのと深いつながりがあるんですよ。
ー  それはどういう点でですか?

演劇は自分の感情を表現するんですね。台詞をかたるでしょ。歌も台詞と同じようにストーリーを語るんですよ。歌ってるときに自分が語っている言葉が嘘じゃいけないから、その言葉どうりの気持ちがなきゃいけない。演劇をやってた瞬間にすごく感覚的に似ているんですよ。
ー  舞台の上ではその歌詞の人になりきるということですか?

歌が持っているストーリーを語るという感じですね。役を演じるというよりは歌を伝えるんだけど、何かの役をやっているときと似ている感じですね。
ー  舞台の上ではいろいろ考えるというよりも自然に出てくる感じですか?

歌のときは、結構自然にでてくることもあるし、例えばその歌が自分の体験に基づいてというよりは、友達の体験ですごい悲しい思いをした人がいたことを考えて思い出して歌うこともあるし。
ー  感情とか感受性を感じながら歌うということですかね?

そうですね。やっぱりメッセージですね。
ー  音楽活動をして、歌をやってて良かったな、もっとも興奮する瞬間ってどんなときですか?
 
ニューヨークのクラブで活躍中
やっぱりジャズの面白いところはあんまり決めない所。突然名前呼ばれて、ステージ上がって、初めましてって言って、この曲ね、って自分なりにリードしてやりますよね。初めてそこで出会った人達なんだけど、それでいきなり音楽を作るわけですよね。そこで一つになるときに、すごい興奮しますね。瞬間っていうものにとても敏感になるんですよ。人間生きてて、朝起きて夜寝て、っていう繰り返しで流れていくけど、よく言うことだけど、その瞬間はもうないわけでです。たまたま居合わせた人と、たまたまその瞬間に一緒に舞台をやって、もうその瞬間は二度とないわけじゃないですか。それがとても暖かく心が通じて、うまく言ったりするととても嬉しいというか。例えばこれが他の音楽ジャンルだったらやっぱりすごい繰り返し練習して、同じメンバーでどんどん上達していって、到達するって言うんだと思うんですけど、そういうのとはジャズは全然違うんですよね。そのためには、自分が一人で磨いていないといけないんですよ。みんなが自分自身を磨いて、一緒に乗っかったときにそれぞれが、自分が自分がっていうんじゃなくて、人のを聞きながら輪を作っていくみたな。
ー  自分を鍛えるというのはどういった面でですか?

もちろん、技術面もそうだし。もちろん知識というかジャズのことを良く知らないといけないんですよ。じゃないと人がやってることもわからないし。ジャズは即興だから、みんなが舞台に乗ったときに、ツーといえばカーという感じでやっていくわけですよ。ツーを知らないとカーが出せないんです。ツーをたくさん知らないといけない。そのためには自分を磨いて、いろんな人の音楽を聴いたり、、勉強したりして、その瞬間でコミュニケーションをお互いに取るんです。こうだ、っていわれたのを応える感じで音楽を出すとコミュニケーションができて、お互いにそれがわかると、すごい感動ですね。そいういのは例えば、日本のコメディアンがみんなが知っているようなネタを言って、例えばドリフだったら、「八時だよ、」って言ったら「全員集合、」って言ってね、といわなくてもみんなが言っちゃうみたいな、そういうような面白さがジャズにはたくさんあって、それが面白いんですよ。それが分かると見る方も分かってもっとジャズは面白いんです。だからもっといろんな人に知ってほしいと思いますよね。
ー  日米の観客の違いってありますか?

そうですね、やっぱりこっちと日本とでは違いますけど。やっぱりまずは英語ですよね。これは多分日本の人は、ジャズ歌ってる人はいっぱいいると思うんですけど、日本だけしか知らないでやっている人は、やっぱり知識が浅いというか、もちろんみんな頑張って勉強しているんだろうけど、こっちで生活しシンガーの人たちのワークショップのお手伝いをしたりしていると、最初に言われるのは、そこなんですよね。日本人はみんな器用で、音楽のこともわかってるんだけど、英語を日常使っていないから、気持ちが伝わらないんですよ。その気持ちの差が、そういう人たちが歌うと、必ず指摘されていますね。もう少しがんばれば本物に近くなるというか。
ー  海外でミュージシャンとして活躍する秘訣、条件というのは何かあるのですか?

日本人として、特有の謙虚さ、慎むことが美しい、みたいなものを変えないとダメですね。そこを変えていかないと、もっとやっぱり頑張って自分でどんどん前に出て行かないと、ずっと認めてくれないから。逆に日本だと前に出ると叩かれるけど、こちらでは前に出ないと目にも止めてもらえないし。そこはやっぱり違うものだと思ってやっていかないと難しいと思います。
ー  将来の夢はありますか?

やっぱり、世界に通用するジャズシンガーとして、日本人代表としてやっていければと思いますね。
ー  海外で音楽の勉強を考えている人にメッセージを頂けますか?

とにかくやり続けること。諦めないでやり続ければ必ずその先があります。
 
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