水野蒼生さん/指揮/モーツァルテウム音楽大学夏期国際音楽アカデミー/オーストリア・ザルツブルグ

水野蒼生さん/指揮/モーツァルテウム音楽大学夏期国際音楽アカデミー/オーストリア・ザルツブルグ
1994年生まれ。
5歳からピアノを、12歳からヴァイオリンを始め、その頃から指揮に興味を持ち始める。
15歳〜17歳まで毎夏金沢で催される「井上道義氏による指揮者講習会」に最年少で参加、師事。17歳の時は優秀者に選ばれコンサートに出演。
また15歳から17歳までトリフォニーホール・ジュニア・オーケストラにもVnで在籍しており、在団中に仲間たちとOBOGオケである「ラノッキオ・アンサンブル」を結成。
2012年に東京音楽大学指揮科に入学するが、路線を変更してヨーロッパへ留学する事を決意。
2013年オーストリア国立モーツァルテウム音楽大学国際サマーアカデミーにて、指揮をペーター・ギュルケ氏に師事。ディプロマを会得。
現在は留学準備を進めながら、様々な活動を行っている。
-簡単な自己紹介、略歴、音楽歴をお聞かせください。

水野 5歳からピアノを始めて、それから趣味でずっと続けてきたんです。その時からバイオリンをやってみたかったのですが、12歳の時にたまたまピアノの先生からバイオリンを貸していただいて、バイオリンを始めることになりました。それと同時に中学で吹奏楽部に入ってフルートもはじめて、一気に音楽づくしの生活になりました。元々両親がクラシックが好きで、家に膨大なCDがあって、それを聞き始めてはまっていったというのもあります。その時は将来バイオリンでやっていけたらなとちょっと思っていたのですが、バイオリンをやるなら3~4歳からじゃないですか。それをバイオリンの先生にも言われて、じゃあ何をやるかとなったのですが、オーケストラがすごく好きで、ピアノをやっている時から自分で自分の音楽をやりたいと思って、、、個性が出るというか。それをオーケストラでやりたい、自分の音楽をしたいと思って、指揮に興味を持ち始めました。
-中学生の時に指揮を?

水野 はい、やりたいなと思いました。
-早いですよね。まだ指揮者がどんなものか分からないくらいの年齢ですよね。

水野 正直分かっていなかったですが、かっこいいし目立つし(笑)。中学の時は、合唱コンクールなどで指揮をふったりする程度だったのですが、高校でバイオリンでジュニアオーケストラに入ったんです。すみだのトリフォニーホールが運営しているオーケストラで、環境もよくて、いつも大ホールが練習で使えて。指揮の先生も松尾葉子さんがついてくれて、トレーナーは新日フィルの人がつきっきりで。また、指揮者の井上道義さんが、 僕が高1の時に講習会を始めたんです。中学の時から井上先生が大好きで、年齢制限をみたらちょうど15歳からとなっていて、「これはいくしかない!」と思いました。夏だったのですが、指揮は何もわからないのに一人でいって。それがはじめての指揮のレッスンになりました。オーケストラもふらせていただいて。
-オーケストラはそのために集まったメンバーだったのですか?

水野 その年は最初の年で、金沢大学のオーケストラがお手伝いしてくれました。毎年夏にあったのですが、高校の時は毎年それに参加して。アンサンブル金沢などもふらせていただきました。
-すごいですね。

水野 17歳の時は優秀者にも選んでいただきました。
-才能があったのですね!

水野 いや~、毎年来ているからじゃないですかね(笑)。それでコンサートにも出させてもらったんです。それ以来井上先生には習っていないのですが、今でも尊敬している一番好きな指揮者です。
-講習会以外では指揮のレッスンはしていましたか?

水野 高2の時に東京音大の夏期講習に行って、その時にここを受けると伝えたら先生を紹介してくれて、受験のレッスンのようなものもありました。そこで基礎を学んで受験して合格して入学して、結局前期だけしか行かなかったのですが。
-その間、大学ではどんなことを学ばれたのですか?

水野 大学では基礎を。レッスンもいっぱいあったんです。ピアノのレッスンが週に2人の先生からあって、和声があって。指揮のレッスンも1年生のためのレッスンと、上級生のためのレッスンのお手伝いみたいな感じでありました。
-今回夏休みに海外の講習会に行ってみようと思ったきっかけは?

水野 大学をやめた時から留学しようとは思っていて、下見として一度むこうの講習を受けたいなと思っていました。それでたまたまモーツアルテウムの講習会を教えてもらって、ダメ元で送って。それが無事に通って、そのおかげですね。
-ギリギリでしたが、間に合ってよかったですね!
聴講生もいたということですが、どこの国の方が多かったでしょうか?
水野 いろいろでしたね・・・。ブラジルから来ていたり、本当にいろんな所から。ルクセンブルクとか、他にも数人いました。イタリアとスペインが一番多かったでしょうか。
-受講していたのは人数は?

水野 8名です。
-聴講生はどれくらいですか?

水野 3~4人くらいです。年齢は25歳くらい、大学を卒業した方が多かったです。
-講習会はどんな風に進みましたか?

水野 他の科は2週間ありましたが、指揮科はその半分だけでした。でもその分密度がすごく濃くて。日曜から土曜までのセミナーだったのですが、毎日朝10時から夕方5時まで、スタジオにこもりっぱなしのような。練習室をとる暇もないという(笑)。
-事前に練習室の取り方などのお話もしていましたが(笑)。

水野 結局とらなかったです。自分がやっている時間は1時間もないくらいですが、みんなが振っているのを見て、聞いて、先生の言うことを聞いて。それだけでもためになるので。
-一つの曲をみんなで? 課題曲が3つくらいありましたが。

水野 はい。先生が前の日に「明日の午前はこれをやるよ」と言ってくれて、「午前中はお前とお前がふれ」みたいな。そしてお昼休憩の前に午後のインフォメーションもしてくれる。そういう感じで進んでいきました。
-では講習会が終わるまでにその3つを一通り勉強し終わる形で?

水野 そうですね。でもふれることが前提みたいな所もあって、最初の2日間だけ2台のピアノでやって、あとは全部オーケストラで。その時間ずっとオーケストラの人もいてくれていて(笑)。本当に感謝というか。
-そのオーケストラはどこから来た人たちでしたか?

水野 その大学の学生オケだと思いますが、学生だけじゃなかった気もします。最終日に卒業コンサートを8人中6人がやるというのがあって。結局僕は最年少でダメだったのですが、後半はそれに向けてのリハーサルのような感じになっていきました。
ひとつの交響曲を、一楽章二楽章は一人ずつ、三楽章は短かったので三、四楽章を一人の割り振りで計3人で。それとルトワルスキーという現代曲が1曲あって、それは同じ曲を違う指揮者で2回やりました。
-現代曲は難しそうですね。

水野 ずっと変拍子で、メロディーがないというか、理論的に書かれすぎていて、全然違う音楽という感じでした。楽譜をみていると、同じフレーズを1拍ずつずらして重ねていっている所がいっぱいあって。これ遊んでるな、と(笑)。それをタイプの違う指揮者で2回通し。もう1曲がオーケストラ付き歌曲でした。弦楽なんですが、それはソプラノ歌手が来てくれて、一人がまるまるやりました。
密度は他の科より濃いと思います。実際講習している時間は30時間以上でした。
-人がやっている間は留守にしているわけではないのですね?

水野 ずっと見ていました。その人の指揮をみて得られるものは得て、先生の言うことも聞いて。途中で集中力が途切れたりもしますけど、それでもとてもよかったです。本当に濃かった。
-先生はどんな方でしたか?

水野 親切で優しい方でした。見た目は60歳後半くらいかなと思っていたのですが、年齢を聞いたら79歳だと。すごいタフですよ。30時間以上に及ぶ講習会を、全部一人ひとり丁寧に教えてくれるのですから。俺だったらできないなと(笑)。
-オーケストラは弾きっぱなしだし、指揮者は教えっぱなしですものね。

水野 オーケストラに対しても、「ここはこういう風に弾くんだよ」と、お互い和気あいあいというか。去年もこの講習会を受けたという学生に話を聞いたら、「僕の中でも彼は好きな先生だ」と、学生からの評判も良い先生でした。
-今現役じゃないのが残念ですね。

水野 そうなんですよね。年齢的な問題もあって、僕だけできるレベルも高くはなかったのですが、それでも丁寧に教えてくれて、いい意味で年齢の差別、「お前は若いから」などと言われることもなく、年齢にあったレッスンをちゃんとしてくれました。オーケストラもいっぱいふらせてもらえたのでよかったです。
-オーケストラをふる機会は日本ではあまりないですものね。

水野 オーケストラがすごくいいオーケストラで。弾いている時が楽しそうなんです。毎日同じ曲ばっかりやっているのに、音楽が好きなんだなと見ていてわかるし、好きで自ら鳴らしているという感じがいいなと。ふっている時も奏者がこっちを見てくれて、何かをつかもうとしてくれていることがわかったので、やりやすかったです。
-音楽をやる時は雰囲気は大事ですよね、
具体的にもらったアドバイスでためになったことや、日本ではもらったことがなかったアドバイスはありますか?
水野 日本で習ったことと真逆のことを教わってびっくりしました。交響曲がシューベルトだったんです。今まで日本のレッスンでは、僕は体が細くて小柄な方なので、指揮は見た目が反映されてしまうから大きくみせる、フォルテッシモの所は腕をつきあげろとか、でっかくふれとか言われていました。ですからむこうでもそれをやったら「そんなにでっかくふる必要はない」と。もっとやわらかく、あくまで古典だから、もう少し流れを崩さずに、曲調にあった指揮をしなさいと。無理に大きくふる必要はない、ということを言われました。
-それが自分の中でやりやすかったとかはありますか?

水野 自分がふっている時の動画を撮らせてもらっていたのですが、後から寮に帰って見返すと、やっぱりこっちの方がオケとしては見やすいだろうなと。明確に分かりやすいとオーケストラもストレスがないということですかね。
あとは日本では言われなかったこととして、振り始める前に、パッとあげるよりは、ゆっくり腕をあげる方がオーケストラも準備しやすいということですね。
先生には「Talk about education」と言われました。
-レッスンは英語でしたか?

水野 僕の場合は少しドイツ語が話せたので、場所によってドイツ語で言ってくれたり英語で言ってくれたり、まぜまぜでした。
-練習をする時間はあまりなかったとのことでしたが、気分転換などはできましたか?

水野 そうですね、コンサートがいっぱいあったので、夕方レッスンが終わってからそれを聞きにいって帰ると10時になることもありました。ずっと外国語を使っていると頭が疲れるのか、11時くらいになると倒れてるんですね(笑)。なので帰ってから譜読みなどもするのですが、知らない間に寝ていたり。
コンサートがなくても、空き時間に譜読みをしたりと、意外と時間がなかったように思います。夕方レッスンが終わって学校の食堂やラウンジで今日言われたことを整理して、ご飯を食べにいって、また夜に練習を少しして、というような日々でした。練習室でピアノを弾く機会はまったくなかったです。
-夜の演奏会を聞きに行くのはクラスメイトと?

水野 基本的に一人で行ったのですが、会場に行けば誰かしらがいて、そこで「いいピアノだね」などと語り合ったりしました。
-お友達とは今でも連絡をとりあっていますか?

水野 全員今でもFacebookでつながっています。何人かはメールアドレスも教えてもらって、たまに連絡をとったりしています。
-その人たちはみんな、今は自分の国に帰っているのですか?

水野 仕事をしているか勉強をしているか。コレペティをやっている人は本当に忙しいみたいで、毎日違う曲のリハーサルで弾いたり、本当に時間がないと言っていました。休暇なども全部練習にあてていて、大変だと。
-そういう大変なことを乗り越えていくのですね。コレペティさんはオペラのですか?

水野 そうです。むこうはオーケストラよりもオペラが主流というか、オペラがふれないと指揮者として認められないという所があるので。まだ自分はオペラの経験はないに等しいのでこれからなんですが。
-これから大学に通うので、いろんな機会がありますね。
ザルツブルクの街はいかがでしたか?
水野 とても住みやすかったです。7月の中旬くらいに行きましたが、気候がよくて、夜は寒いくらいでした。
ザルツブルの街中は結構いろんな所に行きました。ミラベル広場を挟んで両側に校舎があるのですが、基本的には新しい校舎にいました。コンサートだと古いホールを使ったりとか。街の中心部に大学があるので、散歩をするのにもよかったです。
夕日もきれいでした。
道は基本的には石畳で。当時というか、モーツァルトがいた時代の建物をそのまま使っているようです。日本だとそういうものは保護して、そのまま残す努力をしますよね。むこうは自然と残るので、そのまま使っている感じでした。例えばモーツァルトの生家の一階がスーパーになっていたりとか(笑)。そういう価値観も文化の違いとして学べました。
-そういう所から生まれた音楽なんですね。
宿泊先は学校の近くでしたよね。いかがでしたか?
水野 いい所でした。受付とか寮のハウスキーパーの方も親切で接しやすい方達で。朝ご飯もついていたのですが、その講習会以外の方がほとんどで、色々話もできました。
滞在している人は旅行とかで来ている人が多かったですね。
自分が泊まった所も一室ピアノの練習室がありました。講習が始まる前に一回弾いたのですが、あまりいいピアノではなく……、でもただで使えたしいいかなと。受付に行って「ピアノ使っていいですか?」と確認してから使用します。埋まっていたら予約をして、という感じで。
-朝ご飯はどんなものがでましたか?

水野 食堂の入り口の所に、パン、ジャム、ハムなどの定番の朝ご飯が並んでいて、お皿に自分でとって食べるスタイルでした。
-おいしかったですか?

水野 ちゃんと食べられるものでした(笑)。
-他の食事はどうされていたのですか?

水野 現地のサポーターの方においしいお店を教えてもらえました。安くておいしいイタリアンとか。自分は和食がないとダメなのですが、旧市街の方に中華料理屋があって、そこもブッフェ形式で10ユーロくらいで食べられたのでよかったです。中華は基本的に日本と味が変わらないので。
あと学食というか、食堂がコリアンレストランでした(笑)。コリアンレストランと名前をつけている割には、コリアンじゃないものもいっぱいあるのですが、おいしかったです。
-そこは利用しやすいのですかね?

水野 学生もいっぱいいました。スタッフの方に日本人もいて、明らかに日本語で話しかけてくれるんですよ(笑)。「スープいりますか?」とか。びっくりしました。
-コリアンレストランには驚きです。韓国人が生徒でいっぱいいるのですかね?

水野 いっぱいいました。韓国、中国が多かったです。
大学内で韓国語中国語がよく聞こえてきました。
-アジアからの学生は増えているようですね。

水野 はい、むこうで実感しました。日本人も結構いました。と言っても、韓国人中国人に比べたら少なかったですが。日本人とはあまり話しませんでした。せっかくいるのだから、あっちの言葉を使いたいなと思って。
-語学の勉強にもなりますものね。
海外の人たちとうまく付き合うコツはありますか?
水野 積極的になることは大事だと思います。自ら話しかけることですね。日本人は消極的な人が多くて、話しかけられてもオドオドしちゃうことがあると思うのですが、話しかけられて分からなければ聞き返すつもりで、自ら会話の輪に入っていかないと取り残されちゃいますね。
自然と仲良くなって一緒にご飯に行くこともありましたし。イスがあいていて「ここ座っていいですか?」「いいですよ」という所から会話が始まったりもしました。むこうの人は日本人よりも親しみやすかったです。友達、知り合いになりやすいんですね。
-言葉はドイツ語で話しかけるのですか?

水野 最初は何人かわからないので英語で。ドイツ語がしゃべれたらドイツ語で話す感じでした。
指揮科はほとんどがドイツ語を話せました。ザルツブルクで勉強されている人はもちろん話せますし、イタリアからもドイツで仕事をしている人が多かったので、みんな話せていました。
-指揮の人は大変ですよね。オーケストラに説明もするんですものね。

水野 そうなんです。こういう時にどういう言葉を使うんだろうという所も、他のドイツ人がふっているのをみて、「あ、こういう時にこういう言葉を使うんだ」ということもよくわかりました。こういうのは普通の語学学校では勉強できないので助かりました。
常に耳をそばだてていました(笑)。
-困ったことはありましたか?

水野 特になかったと思うのですが、、、。大学の事務局が閉まるのが早いんですよ。土曜日だと3時くらいに閉まってしまったりして。帰り際に資料をもらおうと思って行くとしまっていたり。それくらいですかね。
-到着した時の送迎などは大丈夫でしたか?

水野 はい、問題なく会えました。
-ドライバーの運転が荒いとかありませんでしたか?

水野 それも大丈夫でした。帰りも駅まで送ってもらうことになっていたのですが、夜行で電車が出るのが1時40分だったんです。でも12時に迎えにくるからね、と言われて、「そんなに駅で待つのか」ということはありました。車で10分くらいの所なので。それを現地サポーターの青木さんに話したら、車の時間を遅らせるようにしてくれて、1時に迎えに来てもらって、ちょうどよい時間になりました。12時だと、そんな深夜の駅に行っても、、、という感じだったので。
-寮の前などはわかりやすかったですか?

水野 工事をしていて車が入れなかったので、そこからドライバーがついてきてくれて、入り口まで案内してれました。
-今回参加してみて、よかったと思えたことは?

水野 全てです!来て後悔したことは何もありませんでした。
講習で受けた音楽的なことよりも、むこうの人たちとつながれたことが個人的には大きかったなと思います。次へのステップになったのが一番大きい収穫ですね。
講習会の前はチューリッヒに行っていました。そこでは知り合いのオペラのオーケストラの人の家にホームステイさせてもらってオーケストラづくしでした。
-それは旅行のような感じだったのですか?

水野 わりとそうですね。基本的に昼間どこかに連れていってもらって、少し勉強して、夜オペラに連れていってもらって、と。
-行って自分が変わったな成長したなと思うことはありますか?

水野 1週間ザルツブルクで生活をして、「あ、俺生活できるじゃん、生きていけるじゃん」と思えたことで、成長を実感しました。ドイツ語が話せない時にむこうに行ったこともあったのですが、自分が社会の中でしゃべれているというのが、成長したな変わったなと実感したことでした。
-勉強した甲斐がありましたね。

水野 それでオーケストラの人たちとも仲良くなれたり。最終日に打ち上げがあって、先生もオーケストラの人もきて仲良くなれて、「あ、しゃべれてる!」というのが一番嬉しかったです。
-日本とむこうで大きく違う点はどんな所ですか?

水野 街が観光の街というのもあるのですが、どこに行ってもモーツァルトなんです。あとは無料のコンサートなども多くて。音楽祭のシーズンとかぶっていたのもあったと思いますが、道で学生による三重奏の音が聞こえてきたりとか、そういう所は日本と違いましたね。口ではうまく説明できないのですが、その空気感だけで、自分の音楽に対するモチベーションも変わるんですよね。音楽に集中できるというか。教会があって、その鐘で目が覚めるみたいな生活で。こういう所で生まれた音楽なんだと実感できてよかったです。
あとは、街中では普通にギターで弾き語っているおっちゃんもいましたよ。
-物乞いみたいな人もいましたか?

水野 けっこういました。
-その辺は気にしなければ大丈夫ですか?

水野 まぁいるのが当たり前みたいな感じです。治安もよかったです。
-怖い思いとかはなかったですか?

水野 全くなかったです。少し酔っぱらいが騒いでいるくらいで。
-それは日本でもいますものね(笑)

水野 乞食とかがいることだけですね、違ったことは。1週間いただけですが。
-今後講習会に参加する人にアドバイスはありますか?

水野 指揮を受けるのであれば、英語でももちろん教えてくれますが、ドイツ語圏の人にはドイツ語での講習になるので、自分の時は英語でも他の人のを聞いている時にあまりわからないんですね。なので言葉は準備しておいて損はないと思います。それが一番大きいと思いました。
-譜読みとかはしていくんですものね。

水野 そうですね。あとはその時にできたつながりは一生ものになるので、コンタクトをとり続けることですかね。
参加者の一人は、オーケストラ一人ひとりにfacebookを聞いていましたよ(笑)。全員に聞いてまわっていました。30人くらいいたんじゃないかな。今後のために!と。
その方も今回これを受けてむこうの院に行くということで、お互い留学準備で助け合っていけたらいいなと思っています。
-今後の活動としては長期の留学をめざしていかれるのでしょうか?

水野 はい、語学と音楽の準備ですね。
-忙しそうですね。

水野 日本に帰国してから、2カ月間週に5日、ずっとドイツ語学校に通っています。
来週末で週5日のクラスが終わってしまうので、それ以降はZD対策の自習などをしながら進めていく感じです。短期集中クラスは夏だけなので、ドイツ語には余裕が出るのですが、音楽の方をもう少しやらないとな、という所です。
-音楽は今、誰かから習ったりしているのですか?

水野 指揮自体は独学ですが、ピアノは先生についてやっています。指揮科はピアノが大事なんですよ。歌もコレペティの試験もあって、伴奏のレッスンもお願いしていて。やることが多いです。
-伴奏は難しいですものね。

水野 むこうのピアノ科も伴奏ごとに分かれているらしいですね。
-伴奏科の人の能力はすごいと言っていました。初見でさっさと弾けると。

水野 僕も今、初見を苦労して練習しています。
-今日はありがとうございました。これからの勉強も応援していますね!
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